島原大変の犠牲者供養 1万5000人を悼む

島原大変の犠牲者を供養し、郷土の発展を祈った慰霊祭=長崎県島原市、眉山治山祈念公苑

 江戸時代に眉山が崩壊し約1万5千人が亡くなったとされる「島原大変」の慰霊祭が6日、長崎県島原市上の原3丁目の眉山治山祈念公苑であり、犠牲者を供養した。

 島原大変は1792(寛政4)年、雲仙・普賢岳の噴火活動に伴う大地震で眉山が崩壊。土砂崩れや津波で島原城下だけでなく、熊本や天草にも被害が及んだとされる。

 南島原市出身の彫刻家、故北村西望氏作の聖観世音菩薩(ぼさつ)像の前に祭壇が設けられ、僧侶が読経する中、参列者が焼香して手を合わせた。主催した眉山治山祈念公苑保勝会の大場正文会長は「眉山の治山成就と郷土島原の発展に努めていかなければならない」と慰霊の言葉を述べた。

 慰霊祭は44回目。島原市職員や住民ら約100人が参列した。

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