トマトがすご〜く美味しい【私鉄に乗ろう81】会津鉄道(東武鉄道)その1(34)

野岩鉄道の駅名標。残念ながらこの駅を管理する会津鉄道の駅名標は撮影失敗。

駅の歴史がちょっと複雑です。1953年(昭和28年)日本国有鉄道(旧国鉄)会津線の会津滝ノ原駅として開業しました。1966年(昭和41年)国鉄時代の野岩線起工式がこの駅で行われました。1986年(昭和61年)野岩鉄道会津鬼怒川線が新藤原駅〜会津高原尾瀬口駅開業、会津高原駅に改称されました。管轄は野岩鉄道になります。

1987年(昭和62年)国鉄分割民営化で旧国鉄会津線がJR東日本に継承されます。同年JR会津線が会津鉄道に移管されます。(この後、会津鉄道の歴史も概観します)2003年(平成15年)会津高原駅の管理が野岩鉄道から会津鉄道に移管。2006年(平成18年)に駅名が会津高原尾瀬口駅に改称されています。

実際は、当駅〜会津田島駅間が電化されたので野岩鉄道新藤原駅〜会津田島駅間はほとんど直通運転されます。

駅舎があります。降雨です。※往路

平均乗車人員が会社によって違います。新藤原側に向かう野岩鉄道会津鬼怒川線は、224人/日(2015年)に対し、会津田島方面に向かうために乗る人は、36人/日(2015年)です。

ここで簡単に会津鉄道のコトを書いておきます。

会津鉄道は、先述の様に旧国鉄会津線を引き継ぐために設立された第三セクターの鉄道会社です。1984年(昭和59年)国鉄再建法で国鉄会津線が第2次特定地方交通線に指定されたため、福島県、会津若松市、南会津町、下郷町、東武鉄道、の他、地元銀行などの出資で1986年(昭和61年)会津鉄道が設立されました。1987年(昭和62年)にはJR東日本から会津線を転換して開業。1990年(平成2年)会津田島駅〜会津高原駅間15.4kmが電化、野岩鉄道会津鬼怒川線・東武鉄道鬼怒川線・日光線・伊勢崎線との直通運転が開始されました。2002年AIZUマウントエクスプレスの運転開始。2006年(平成18年)に会津高原尾瀬口駅に改称されました。2017年からは、東武の新型リバティを使用する「リバティ会津」が会津田島まで運行される様になりました。スペーシアの胴体(車両限界)では、野岩鉄道の18のトンネルが通れない、と東武鉄道の人から聞きました。

会津鉄道の新しい駅などについては、駅を紹介する際に書きます。

本来は前史である旧国鉄会津線の歴史にも触れたいのですが、それは追々と言うコトにして。

会津高原尾瀬口駅を出発しました。会津線は、会津下郷駅を過ぎるまではトンネルはありません。

会津高原尾瀬口駅から4.3kmで七ヶ岳登山口駅。周囲には航空写真で見てもあまり民家はありません。耕作地も無く、ただ茫漠と・・・と、よ〜く見ると駅の西側を流れる阿賀川の向こう側に農地と北側に集落がありました。

駅舎があります。駅名標が遠くにあって写せません。1953年(昭和28年)国鉄会津線の糸沢(北側の集落名)駅として開業しました。1987年(昭和62年)国鉄分割民営化でJR東日本に継承されて駅名が七ヶ岳登山口駅に改称されています。日乗車人員は、8人/日(2015年)。

ホームの向こう側にホームの痕跡の様なものがありました。調べた範囲では不明です。

3.0kmで会津山村道場駅。それにしても前面のガラスが汚い。(実際は後方展望ですけど)

駅名標。2001年(平成13年)開業。平均乗車人員が、8人/日(2015年)。会津山村道場とは何?

会津山村道場のホームページを見ました。1937年(昭和12年)から続く山村の農業伝習施設なのだそうです。2000年(平成12年)にリニューアルされた様です。

南会津について、作られるトマトがすご〜く美味しいということや温泉がたくさんあるコトくらいしか知りません。素の印象は、山深くて閑かな空気の良い場所です。

近くてビックリ。わずか0.9kmで会津荒海(あいづあらかい)駅。というかおばちゃん、渡ったら危ないって!(ご安心ください 復路=後方展望です)

リバティ会津とすれ違ったばかりなのです。

では、【私鉄に乗ろう81】会津鉄道(東武鉄道)その2(35)に続きます。

(写真・記事/住田至朗)

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