夜桜極蔵(ゲンドウミサイル) - 自分らしさを突き詰めた"ニューゲンドウ"のフルスロットル

俺が歌うのがゲンドウミサイル

——まずは、知りそうで知らなかったゲンドウミサイルの歴史をお伺いしていきます。バンド名の由来を教えてください。

夜桜極蔵:ゲンドウって昔は漢字だったの。言葉と動かすの言動(ゲンドウ)とミサイルで言葉で動かすミサイルって昔に皆で考えた。

——今はカタカナですが、変わったきっかけはありますか?

夜桜極蔵:もともとゲンドウはハードコアバンドをやっていて、その後にナゴムレコードから出すってなった時に、“ゲ”と“ド”をカタカナにして“ん”と“う”をひらがなにしてナゴムに合わせたの。でもナゴムに入ったんだけど、ナゴムの雰囲気が合わなくてハードコアのレーベルに移るぞってなった時にイメージを変えたくてカタカナに変えた。

——もともとどのように結成されたんですか?

夜桜極蔵:結成はね…誘われたの。街を歩いてたら。

——本当ですか!?

夜桜極蔵:うん。そんな感じ。もともといたゲンドウミサイルのメンバーがボーカルを探してて、昔はパンクスがいっぱい集まるディスコとかがいっぱいあったの。そこによく居たから、背が高くてこんな感じだから誘われた。だからオリジナルメンバーでは無い。

——もうオリジナルメンバーは誰も残っていないですよね?

夜桜極蔵:うん。誰も残っていない。

——出身はどちらですか?

夜桜極蔵:宮崎県で生まれて、5歳くらいに岡山に行ってそこで育って、17、18でこっちに出てきてるから東京で育ったね。人間は。

——バンドに誘われたのはいくつくらいの時ですか?

夜桜極蔵:こっちに来てきてすぐの時。その時はパンチパーマで、訳も分からず出てきたから、東京って何が流行ってるんだろうって思ってて、その頃はサーフィンが流行ってて、街にはサーファーが多かったから鵠沼のチームに入ってサーフィンをやってたの。でも音楽はパンクが好きでずっと聴いてたら、パンクとかハードコアが流行り始めて、街の一番がサーファーからパンクになってきたの。だからパンクやろうって。だから結局、街の一番になりたかったの(笑)。

——ずっとパンクは聴いてこられたのですか?

夜桜極蔵:そうだね。田舎の頃からパンクはずっと聴いてきたね。好きっちゃ好き。でも俺はロックンロールよりの音楽が好き。

——どういうの聴いていましたか?

夜桜極蔵:なんでも聴くけど、ストーンズとか…聴いてきたね。

——歌い方にも特徴があると思うのですが、影響を受けたシンガーとかはいますか?

夜桜極蔵:憧れた人はいっぱいいるけど、結局やってみたら真似なんてできないから、自分らしくしかできないね。パンクやり始めた最初の頃とかは『あぶらだこ』とか真似してみたけど、やっぱり違うからね。近くで言うとトモロヲさんとか、トモロヲさんの歌詞とか真似してみたけど書けないから、自分らしくやりはじめたね。

——曲を作る時は歌詞と曲、どっちが先ですか?

夜桜極蔵:大体、曲が先だね。ゲンドウミサイルってって結構メンバーがコロコロ変わるのね。変わる度にメンバーに曲を作らせるから、だからメンバー変わる度に結構、曲は変わるんだけど、俺が歌うとゲンドウミサイルになるから。だから今のギターになって結構、変わったと思うんだけど、俺が歌うのがゲンドウミサイルだからね。

初めて負けたと思った

——新宿LOFTに初めて出演した時は覚えていますか?

夜桜極蔵:こっち?

——移転前のことも覚えていますか?

夜桜極蔵:向こうは結構、覚えてるよ。ナゴムから出る前に出てて、『キャ→』っていうバンドがあってそのバンドのレコ発で出たのが初めてだった。そこでケラさんが観ててナゴムから出さないかって声かけられたの。だからLOFT一発目は結構、覚えてるね。逆にこっちはダラダラ出始めたから覚えてないね(笑)。

——ゲンドウミサイルといえばライブ中のコールアンドレスポンスが特徴的ですが、やり始めたきっかけはありますか?

夜桜極蔵:あれは…なんだろう…最初は男前!っていうのやり始めたらやけにウケたんでそれからいろいろと考え始めたんだけど、一回うち解散しているのよ。解散する前はそういう事は無く、MCも無く黙々とライブするバンドだったんだけど、復活してからだね、ふざけたことをやり始めたのは。

——それは極蔵さんが考えているのですか? 皆で考えているのですか?

夜桜極蔵:大体、俺だね。あっ! 思い出した! ツアー行ってて、まったく無名の芸人がラジオで「そうだろみんな!」って言ってて、そしたらおばちゃんとかが皆「そうだ!」って言っててね。面白いからみんなでやろうって言ってそれをパクった。

一同:(笑)

——コールアンドレスポンスもそうなんですが、それ以外のこだわりのようなことはありますか?

夜桜極蔵:とにかくダラダラやらないことだね。しゃべりとかではダラダラするけど、動きとかもダラダラしない為に仕事しながら体を鍛えるようにはしてるね。だから横のメンバーとかがダラダラしてると俺は動け! と厳しく言ったりしてる。

——それでは、今までライブをされてきて強烈だった思い出はありますか?

夜桜極蔵:大宮フリークスっていうライブハウスがあった時に全然、無名だった、俺らの前座で出た『エレファントカシマシ』ってバンドがね、リハから観てたんだけど本当にボーカルが凄くて、それまで俺、全然、負けない自信があったんだけど、初めて負けたと思って、ライブやるのも嫌になっちゃって、その後に解散するんだけど、それが一つの原因だったね。あと時にエレカシの宮本君の衝撃は忘れられないね。その後に違うバンドで大宮フリークスに出たのね。ゲンドウをやめて新しいバンドになってた頃の俺にはもう宮本が入ってて、でもなんか違うなって思ってた時期で、その時の対バンで亡くなった伊藤耕さんの『THE FOOLS』が出てて。リハやった後に伊藤さんが楽屋に来て、酔っぱらってたんだと思うけど「お前いいよ!お前最高!そのまま行けよ!」って言われて復活した。だから大宮フリークスが起点になってるね。

ゲンドウミサイルをみると元気が出る

——今回、発売されるアルバムは今のメンバーになって3枚目になりますが、手応えはいかがですか?

夜桜極蔵:今のメンバーになって4、5年だけどいいペースでアルバムを出しているんだけど、まあメンバーチェンジが多くて出せるうちに出していこうって感じなんだけど(笑) 前回のアルバムは自分ら的に良いのができて、んで今回はもっと良いの作ろうと絞ったからね。もう絞って絞って、もうでないかもしれないってくらい(笑)。

——ライブ活動が多い中でのレコーディングは大変ではなかったですか?

夜桜極蔵:いや、なにも。喉が強いからね。大体ガラガラだし(笑) あとレコーディングはあまり録りなおさなくて、何度やっても同じだし大体一発録りだね。とにかくノリ一発で多少、間違えたりしても何も考えずにそのままやってるね。普通、逆かもしれないけど、ライブでちゃんとやればいいやっていう。

——今回のアルバムで読んでいる方に伝えたいことはありますか?

夜桜極蔵:最近、俺の意に反してゲンドウミサイル見て元気が出ます! みたいになってきて、俺的には元気にさせようとかそういう思いはこれっぽっちもないんだけど、でも今回はそれに合わせてみました。だから…元気になってください!(笑)

——それではこれからも精力的な活動をお願いします!

夜桜極蔵:そうなのかな? まあやれる場所がある限り、呼ばれる限りね。以上!

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