雲仙・普賢岳噴火災害 大火砕流 あす28年 いのりの日

  

 消防団員や警察官、報道関係者ら43人が犠牲になった1991年6月3日の雲仙・普賢岳噴火災害大火砕流惨事から3日で28年を迎える。同日は、島原市内で「いのりの日」の追悼行事が営まれ、災害の記憶と教訓の継承を誓う。
 市は仁田町の仁田団地第一公園内の「雲仙普賢岳噴火災害犠牲者追悼之碑」前に、市消防団は平成町の「消防殉職者慰霊碑」前に、それぞれ献花所を設置。大火砕流が発生した午後4時8分、防災行政無線でサイレンを鳴らし、黙とうを呼び掛ける。安中地区町内会連絡協議会も北上木場農業研修所跡で犠牲者を追悼。平成町の雲仙岳災害記念館では、島原半島の小中学生が作ったろうそく約千本をともす「いのりの灯(ともしび)」が催される。
 普賢岳は90年11月17日、198年ぶりに噴火。93年6月23日の火砕流でも1人が亡くなり、計44人が犠牲になった。被害総額は約2300億円。島原市の避難者は最も多い時で2047世帯、7208人に達した。96年6月に「噴火終息宣言」が出されたが、噴火活動で形成された溶岩ドーム(平成新山)を含む約950ヘクタールは現在も警戒区域となっている。

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