久保建英は大丈夫か…バルサからレアルへ「禁断の移籍」をした5名

久保建英のレアル・マドリーへの移籍が公式に発表された。

しかし、久保建英といえばバルセロナのユースで育ったことで有名。先日はその古巣への復帰が噂されたが、その最大のライバルであるレアルへ加入する道を選んだ。

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これまでそのような「禁断の移籍」をした選手は誰がいるのか?有名な5名のスターを紹介する。

ルイス・フィーゴ

バルセロナ所属:1995~2000年

レアル・マドリー所属:2000~2005年

バルセロナとレアル・マドリーの間で行なわれた『禁断の移籍』といえばフィーゴである。その象徴となったのは、両チームの直接対決であるエル・クラシコで豚の頭が投げ込まれたという衝撃の事件だ。

スポルティング・リスボンから1995年にバルセロナへ加入したフィーゴは、様々な名選手とともに多くのタイトルに貢献。ファンからも大いに愛される存在だった。

しかし2000年に突然当時の世界記録となる移籍金でライバルのレアル・マドリーへ電撃移籍。その年の10月にカンプ・ノウで行なわれたクラシコでは「裏切り者」「ユダ」「クソ野郎」「傭兵」と数多くの罵声が飛んだが、フィーゴは耳に手を置くジェスチャーで答えた。

現在はアンバサダーとして様々なプロジェクトに関わっている他、プロサッカー選手向けのソーシャルネットワークサービス「Network90」を運営している。

ベルント・シュスター

バルセロナ所属:1980~1988年

レアル・マドリー所属:1988~1990年

華麗なテクニックを持ち、創造性に溢れるパスからチャンスを作り出したドイツ人司令塔。代表チームではタイミングも合わず活躍できなかったが、リーガ・エスパニョーラではバルセロナ、レアル・マドリー、そしてアトレティコ・マドリーと名門で長くプレーした。

21歳という若さでケルンからバルセロナに加入し、8シーズンに渡ってプレーする。そして1988年には大きな批判を浴びながらもライバルのレアル・マドリーへと直接移籍し、リーガ2連覇に大きく貢献する活躍を見せている。

引退後は指導者に転身し、2007-08シーズンには古巣レアル・マドリーで監督を務めた。今年中国の大連一方を解任されてからはフリーエージェント。

ミカエル・ラウドルップ

バルセロナ所属:1989~1994年

レアル・マドリー所属:1994~1996年

デンマークの歴史上最高の選手として知られるラウドルップ兄弟の兄。ラツィオ、ユヴェントスでプレーし、代表ではユーゴスラヴィアの辞退で急遽出場したEURO1984で準優勝を果たす。そのチームは「ダニッシュ・ダイナマイト」と呼ばれ、ミカエルはその中心的な役割を担った。

1989年にはヨハン・クライフの誘いによってバルセロナへと加入し、数多くのタイトル獲得に貢献する。しかし後に外国人枠の超過によって出場機会が減少し、1994年にライバルのレアル・マドリーへと移籍した。

サンティアゴ・ベルナベウでは加入初年度でリーガ・エスパニョーラ優勝を経験し、2シーズンプレーした後に当時JFLのヴィッセル神戸に加入した。引退後は指導者を務めているが、所属クラブはない。

ハビエル・サビオラ

バルセロナ所属:2001~2007年

レアル・マドリー所属:2007~2009年

童顔なルックスから「コネホ(うさぎ)」の愛称を持ち、高い人気を誇ったサビオラ。2001年のワールドユース(現U-20W杯)では今なお最高記録である11ゴールを決め、MVPと得点王をダブル受賞した。

その実績から2001年にバルセロナへと加入。3年間で44ゴールを決めたものの2004年には立場が悪化し、モナコ、セビージャへのローン移籍を経験することに。復帰後もベンチに座る機会が多く、2007年にレアル・マドリーへと移籍した。

彼の境遇もあって「禁断の移籍」ほどの批判は浴びなかったが、レアル・マドリーでもむしろ出場機会が減少。2シーズンを過ごした後にベンフィカへと去っていった。

現在はアンドラに移住しており、1部リーグのFCオルディーノで指導者を務めるほか、フットサルリーグのエンカンプで現役選手としてプレー。今季は得点王に輝いている。

ロナウド

バルセロナ所属:1996~1997年

レアル・マドリー所属:2002~2007年

「世界最高のストライカー」として今なお話題になる“元祖”ロナウド。1994年に加入したオランダのPSVアイントホーフェンで圧倒的な得点能力を見せつけ、ボビー・ロブソン監督の誘いでバルセロナへと移籍した。

20歳という若さながらスペイン初年度で37試合34ゴールという結果を残し、ロブソン監督が発したという「戦術はロナウドだ」というコメントは今なお語り草に。その実績をもって、当時欧州最高のリーグであったイタリア・セリエAのインテルへ移籍した。

2002年の日韓ワールドカップでブラジルを優勝に導いた後、3900万ドル(およそ42.2億円)という移籍金でレアル・マドリーに加入。ますます太めになる体型から批判を浴びることも多かったが、それでも毎年得点を量産し「銀河系軍団」の一員として活躍した。

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現在はスペイン2部のバジャドリーの株式を過半数取得し、オーナー兼会長を務めている。

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