かみ合わぬ会話 答え求めて 植松被告と面会続け やまゆり園事件3年

植松聖被告と面会を重ねるノンフィクションライターの渡辺一史さん=横浜市港南区の横浜拘置支所

 相模原市緑区の県立障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者ら45人が殺傷された事件から3年。重度身体障害者とボランティアの奮闘を描いたノンフィクション「こんな夜更けにバナナかよ」の著者、渡辺一史さん(51)=札幌市=が、元職員の植松聖被告(29)と面会を続けている。私とあなたは何が違うのか-。アクリル板越しに問いを重ね、その答えを見つけようとしている。

 今月下旬、渡辺さんは横浜拘置支所(横浜市港南区)を訪ねた。5月上旬から始めた面会は計9回。難病の筋ジストロフィーを発症した故・鹿野靖明さんの人生を描いた「こんな夜更けに-」が昨年末に映画化され、執筆活動と全国各地での講演の合間を縫って続けている。

 〈鹿野さんの存在は不幸を作るどころか、私の人生を大きく切り開くきっかけをもたらしてくれた〉

 そんな手紙を植松被告に送ったのは3月下旬。自身の思いを言葉にするまでに3カ月かかった。その間、事件現場となったやまゆり園にも足を運んだ。19人の犠牲者に思いをはせ、怒りや恐怖を想像してみた。どんなスタンスで向き合い、何を問うべきかひたすら悩んだ。

 〈障害者は不幸を作ることしかできない〉。植松被告は衆院議長に宛てた手紙にそう書いた。事件後、インターネット上には「正論だ」「障害者はいらない」といった書き込みがはんらんした。

 福祉の現場を20年近く取材し、障害者の介助もしてきた。一見、意思疎通が難しそうな人でも言葉を超えて通じ合えること。そうした体験が、時に人生を一変させるほどの気づきをもたらすこと。これまでの経験で身をもって知っている。

 同じように障害者と向き合いながら、その出会いに感謝している自分と、彼らの存在を否定し続ける植松被告との違いは何なのか。ふと頭に浮かんだこの疑問を解き明かすことこそが、自らに課せられた使命のように思えた。

 「『自分は殺人者ではなく、社会の救世主である』という確信は、ある種の信仰のように強固だ」。面会をいくら重ねても、植松被告が考えの核心を変える気配はない。日本の財政難を背景に、生産能力のない人を「社会の敵」と見なす風潮にたきつけられた存在-。渡辺さんは植松被告をそう捉えている。

 障害者は生きている価値があるのか-。かつての自分も漠然と思っていた。だが、鹿野さんとの出会いが価値観を一変させた。32歳だった。「こんな夜更けに-」には、鹿野さんの奔放さにボランティアが振り回されながらも互いに理解を深め、成長していく姿を描いた。

 「鹿野さんは生きるために“命がけのわがまま”を言い続けた。困った時に頼れる人がたくさんいた。人が生きることや支え合うことがどういうものなのか、言葉ではなく、生きざまで見せてくれた」

 昨年12月、渡辺さんは当時の体験などを盛り込んだ「なぜ人と人は支え合うのか」を出版した。やまゆり園事件にも多くのページを割き、あとがきには自身の思いを込めた。

 〈あの障害者に出会わなければ、今の私はなかった。そう思えるような体験をこれからも発信していくことが、植松被告に対する一番の返答になるはずだし、同調する人たちへの何よりの反論になるはずだ〉

 植松被告との会話はかみ合わない。それでも拘置所に足を運び、アクリル板越しに問い、自分の経験を伝える。求める答えは見つかりそうもないが、彼がどう変わっていくか見届けたい。

 「それが、障害のある多くの友人たちから人生について教わってきた自分の務めでもあるから」

 ◆相模原障害者施設殺傷事件(やまゆり園事件) 2016年7月26日未明、県立障害者施設「津久井やまゆり園」(相模原市緑区)で入所者の男女19人が刃物で刺され死亡、職員2人を含む26人が重軽傷を負った。17年2月に殺人罪などで起訴された元職員植松聖被告(29)の裁判員裁判初公判は、20年1月8日に開かれる。植松被告は「意思疎通できない人は不幸を生む」などと障害者を差別する発言を続けている。事件現場の居住棟は建て替え工事が進められており、21年度中に新施設が開設される予定。

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