小説−8「命」第二章 歌う夏子

©絶望に効くクスリ・山田玲司

この小説は短編のつもりだったのだが、終わりが見えない。結局は自分の「音楽人生」にスライドしてゆく宿命なのか? 作詞までしてしまった(笑)。PANTAさんにでも使ってもらえたら嬉しいが……。意外と、この拙い文章を読んでエールを送ってくれる人がいるので頑張っています。これを書いている私も初老を過ぎて、ついに高齢者になった。

第二章 歌う夏子

もうすぐ初老となる私は夢を見ている。

人は出会って、惹かれ合って、恋をして、二人とも不治の病をかかえて時が重なり、このまま歳をとって、やがて終末がやって来る。

私たちは「生」がある限り人を愛することができる。詩を書くことも歌を歌うことも。ただ「生きているそのもの」には価値がない。

しかし、どんな夢を見ても、甘い体験などはぎりぎりの時間。時が私たちを追い詰める。これまで相当ジタバタしてあがいてきて、絶望的になった私は自殺という道を選んだというのに、まだ頑張って生きようとしている自分があった。

夏子さんの担当医は、回復の見込みがないに等しいことを告げ、余命半年と宣託された彼女は一人になった。

私は夏子さんの気持が欲しいと切実に思った。重たい感覚が全身を支配し、少し余裕がなくなって来てしまっているのだろう。私はその当事者になりつつあるのだ。この日の時間と空間で起こった事実は消せないのだと思った。私は今、心の震えるような恋に出会っているのだ。もう一度だけでいい。ささやかな、あまくて魂のとろけるような体験をしているのだ。

なんだかいつものように哲学的な難しい話になったが、「死」の問題は避けて通ることはできない。だから少なくとも生きていることに価値を持たせなければ、意味がなくなる。

夏子さんはビルを売ったという相当な資金を持っている。金額は分からないが、あと数ヶ月でそのお金を全部使い切りたいと言う。しかし、私には全くイメージが湧かなかった。

©絶望に効くクスリ・山田玲司

食事が終わって、窓の外を見ながら二人でビール一杯とワインを飲む。今日は病院で透析を4時間やってサウナで相当な汗を抜いたので、ビールもワインもずいぶん飲めそうな雰囲気だ。

「貴方と逢っていると楽しいの。いろいろ忘れることができる。とてもいいなって思っているの」と、また同じ言葉を繰り返した夏子さんは、ひょいとアコーステックギターを膝に抱えた。

ギブソンのアコーステックギター、その仕草を見て私は夏子さんが以前はプロの歌手だったことを見抜いた。

ギターを抱えて、時折マイナーコードの半音をぴーんと弾きながら夏子さんは独白し始めた。

「その昔ね。私、シンガーソングライターのプロで頑張ってきた時期もあったわ。レコードも何枚か出したの」

「そうですか。こんな嵐の夜となると、どんな曲を弾くのですか」

「昔の話よ。私の歌、絶望的に暗いけれど、いいの?」

夏子さんはギターを膝に抱えてコードのチューニングを長いこと繰り返し、音程を整えると静かにギターを弾き始めた。多分、誰にも言おうとして言えなかった。そんなたくさんの言葉の羅列。私は瞬きをした。

この歌はその昔に聴いたことがある。夏子さんは突然消えてしまったあの伝説の歌唄いだと思った。それも、私が青春をしていた大学闘争時代の歌だ。

「私ね、高校時代、憧れた大学生がいて、その人に連れられて『大学授業料値上げ反対闘争』とか『10・21国際反戦デー』とかに連れて行ってもらったの。でもその先輩は機動隊にボコボコにされて、入院してそこで一人自殺したの……」

「解放区(カルチラタン)」

秋の御茶ノ水の学生街。神田カルチラタン。

バリケードの解放区が現れた。

そこに見えるのは東大安田講堂。

安保粉砕のシュプレヒコール

守る、逃げる、逃げる、追いかける。

神田が炎となって燃えた。神田カルチラタン。

黒煙上がるバリケード。僕たちが築いた自由の砦

群衆の中の眩しすぎる愛しい先輩

追いすがる私の向こうで愛しい人は消えた。

守る、逃げる、逃げる、追いかける。

襲いかかってくる機動隊。神田カルチラタン。

おずおずと持つゲバ棒とヘルメット。机と椅子のバリケード

サーチライトと救急サイレンの響。

先輩はどこに行ったの……孤立、涙ぐむ私が立っている。

守る、逃げる、逃げる、追いかける。

それは秋の「国際反戦デー」神田カルチラタン

機動隊に逮捕される先輩は護送車に消えていった。

先輩は重症で病院に運ばれそこで自殺した……

先輩が消えた。機動隊の警棒の乱打で……

守る、逃げる、逃げる、追いかける。

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