元燕・館山が独占インタで語った楽天コーチ就任の真実とヤクルトへの感謝

インタビューに応じた楽天・館山昌平2軍投手コーチ【写真:編集部】

独占インタビュー第3回、「ヤクルトへ恩返しをしたいという気持ちは持っています」

 ヤクルトで16年の現役生活を終え、来季から楽天イーグルスの2軍投手コーチとなる館山昌平氏がFull-Countのインタビューに応じた。第3回はヤクルトから楽天イーグルスに踏み出した経緯と、ファンへの感謝の気持ち。忘れられない試合はあの復帰登板だった。

――野球人生の来シーズンは、楽天イーグルスの2軍投手コーチに決まりました。

「最近、自分で発信するチャンスがあるので、自分からどういう経緯だったか伝えるようにしているんですが、スワローズからも仕事をいただいていました。言っていただいたのが、ユニホームを着て指導をする立場ではなかったということはありました。ただ、そこで、『ユニホームを着られないから、外(他球団)に出ます』というのではなく、いただいた話が自分で想像のできない役職でして……大変ありがたかったのですが……」

――ヤクルトへの感謝もあったので、悩まれたと思います。

「もし、自分が断るのであれば、そのポジションの後任を探さなければいけません。なので、一旦、『ありがたい話なのですが、まだ自分にはちょっと想像がつきません。自分にどういった可能性があるのかと、フラットに考えたいです』とお断りをしました。ヤクルトに恩返しもしたいというのはありましたが、お待たせするとご迷惑がかかるので、入院中にお伝えしました」

――楽天イーグルスからのオファーはどのようなタイミングで届いたのですか?

「ラジオ番組に出演した時に『一旦、スワローズを離れて、外から野球を見ます』と話したことによって、それが記事になりました。そこからいろんなお話が舞い込んできて、そこから1週間くらいだったと思います、楽天イーグルスから2軍投手コーチを考えているんだけどどうだという話をいただいて、ありがたいお話でした」

――楽天イーグルスには石井一久GMや三木肇監督らヤクルトを良く知る方々もいるので、環境面でもプラスになるのでは?

「でも、GMも三木(肇)さんも、野村(克則)さんも、現役の時からプライベートでご飯に行ったりしたことないんです。お店で偶然、一緒になって同じ席に、というのはありますが……。スワローズの先輩というのもありますし、本当にビッグな方たちです。石井GMからすると、リスクしかないと思うんです。コーチ経験者がいっぱいいるのに、僕はコーチ経験もないですから」

――今の自分にとって1番、やりたい仕事に近かった感じですか?

「今1番やりたいこと……。うーん、夢でもありましたし……。自分にはできるんじゃないかという机上の空論みたいなのがいっぱいあるんです。それは、ずっと頭の中にあったり、ノートとかに自分で書き留めたりしたこともいっぱいありました。それをちゃんと形にしてからでも、その(スワローズからの)仕事は遅くないんじゃないかと思いました」

――例えばどんなことですか?

「本を書いたりとか、解説もしたいなと思いましたし、講演もしたいとか、そういった中の1つとして、コーチもありました。選手と違った立場で野球を見てみたい、選手が思っていることまで頭の中まで見えるようなコーチになりたい、と思っています」

最も印象に残っている試合はトミー・ジョン手術から復帰した試合、仲間の思いに感謝

――コーチとして秋季キャンプに参加された新天地、楽天イーグルスはどんなチームですか?

「環境が素晴らしいです。それはヤクルトがダメとかではなくて、スタッフの情熱もそうだし、球団の中にもお邪魔させてもらったんですけど、球団の雰囲気もいいです。まだコーチという立場で試合の一員になる前なので、どういった球場の雰囲気なのかはわからないですけど、データなどが活用できるものが本当にいっぱいあります。そして、そこに対してみんな、情熱を感じました。東北のために、楽天イーグルスのためにと、今、心から思えるんです。それはスワローズを裏切りました、というのではなく、選手としてやった次のステージは、お話をいただいた楽天イーグルス、という感じかなと」

――ヤクルトファンに向けて伝えておきたいことや思い出に残っている試合を教えてください。

「やっぱり自分の中で(トミー・ジョン手術から)復帰した試合です。(814日ぶりの1軍登板となった)2015年の6月28日の巨人戦です。あれだけの人が待っていてくれたという思いがあります。もちろん自分の中で“絶対戻るぞ”という思いで、それが叶った日でもあるんですが、それをファンの方々も『戻ってきたぞ!』という風に、それだけの思いで待っていてくれた、という思いをすごく感じたんです。やっぱり、あの試合に関しては忘れることないでしょうね」

――チームメートも特別な試合と感じていました。

「その試合には勝ったんですけど、上手く立ち上がることができなくて……。自分が試合を支配して、勝ち投手になったわけではありませんでした。けれど、いろんなことがありました。みんなが、1つになるために準備されていた、そんな風に感じました。6月の段階で、バーネットがイニングまたぎをするのは、イレギュラーなこと。それまで確か1回はあったかと思うんですが、あの時がシーズン2回目(のイニングまたぎ)。外国人選手も特別な日と感じてくれていたのだと思いました」

――試合は6-4でヤクルトの勝利。一時は勝ち越されましたが、仲間の奮闘で館山投手の黒星が消えた展開でした。

「自分を中心にという言い方は違うかも知れないですけど、チームメートにあれだけやってもらったというか、チームが1つになっている中に自分が入っていった感じでした。球場も投げる前から1つになることを前提に待っててくれた感じがあったんですよ」

 今の率直な気持ちや経験に基づいた考えを、丁寧に、言葉を選びながら、時には勢いに乗せて、言葉を紡いだ。自分に厳しい努力家で、勉強熱心。その姿は、ヤクルトに入団した頃から全く変わらない。想像できないほどの試練を乗り越えた館山氏の第2の野球人生がこれから始まる。インタビュー中、何度も口にした怪我や手術による“失敗の歴史”は必ず活かされ、後進の成功につながって行くだろう。同時に館山氏にとっての“成功の歴史”も刻まれていく。これからもその姿をしっかりと追いかけたい。(新保友映 / Tomoe Shimbo)

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