被爆者火葬の地に「慰霊の碑」 募金呼び掛け 8月9日建立目指す

被爆者を火葬した史実を後世に残そうと「慰霊の碑」を建立する百日紅公園=諫早市

 長崎原爆直後、諫早市で息絶えた人たちを葬った事実を後世に伝えようと、長崎原爆被災者協議会(田中重光会長)と諫早市原爆被災者協議会(諫早被災協、清水多喜男会長)は被爆75年の今年、同市天満町の百日紅公園(旧市営火葬場)に「慰霊の碑」を建立する。8月9日の除幕を目指し、賛同募金をスタートさせた。
 「原爆の後、何百人も焼いた場所なのに伝えるものが何もなくて。やっと碑が建てられることになり、よかった」
 諫早被災協の清水会長(92)は昨年12月末、ほっとした表情を浮かべた。約2年の交渉を経て市が同公園の使用許可を出し、悲願の慰霊碑建立が実現することになったからだ。
 同公園は諫早駅から北東の高台にあり、原爆当時は市営火葬場だった。長崎原爆戦災誌によると、8月11日から火葬が始まり、400~500人を火葬した。
 清水会長は同9日から1週間、死体運搬や火葬作業に携わり、救護被爆した。「大八車のむしろに乗せるため、死体の手を持つと皮と肉がぴらっとはげて骨だけになった」。その感触は今でも忘れられない。
 市営火葬場は1993年、別の場所に移転し、その後に市が同公園を整備した。だが、清水会長と同様の体験をした人は年々減り続け、草木が生い茂るようになった。そこで長崎被災協・被爆二世の会・諫早(森多久男会長)が2016年秋から年2回、同公園の清掃活動を開始。原爆の史実をたどりながら「慰霊の碑」建立を後押ししてきた。
 市は昨年12月、同公園(面積約2850平方メートル)内の一部約50平方メートルの使用を許可した。諫早被災協などは8月9日を目標に、石製の「慰霊の碑」を設置し、駐車場8台分を整備する。碑文は旧市営火葬場に関わった人たちを慰霊するとともに、被爆者の痛ましい最期と救護被爆者の苦闘、世界平和を願う思いを記す。
 清水会長は病床生活が続き、設置費用150万円の募金呼び掛けもままならない。「少しでも思いに共感してくれる方がいらしたら、ありがたい」。募金協力者の名前は碑の裏面に刻む。問い合わせは森会長(電0957.24.1155)。

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