アンダーフラワーナイト前夜祭・アコースティックな夜『オープニング・トークライブ』

アンダーフラワーナイト前夜祭・アコースティックな夜『オープニング・トークライブ』

2020年1月10日(金)@Loft X Koenji

2020年一発目のテンの日に行われた激レアトークライブに潜入!アンダーフラワーとは、数々の優良ギターバンドを輩出していたインディーズ・レーベルUNDER FLOWER RECORDSのこと。実はかつてLOFT Xの店長が所属していたレーベルの一つでもある。店長の激熱オファーにより、数年の沈黙を破り久しぶりのイベントを開催! その前夜祭として、初期・中期・後期にレーベルに所属していた各出演者が当時の裏話を語ります。レーベルオーナー不在の中、衝撃発言も!? ゆるゆるディープなトークをお楽しみください。[text:朝倉(元QuipMAGAZINE、TOTE)]

≪参加者≫

新井 仁(N.G.THREE、RON RON CLOU、NORTHERN BRIGHT、The AUTOMATICS、他)

斎藤 大祐(strawberry、wrinkles)

チバ タケヒサ(ザ・ガールハント、テルスター、LOFT X店長)

司会進行:朝倉(元QuipMAGAZINE、TOTE)

アンダーフラワーを語る!

──アンダーフラワーを語る!と言うことで、当時を知っていそうな人として呼ばれました、ライターの朝倉です。昔QuipMAGAZINEという音楽雑誌にいました。

チバ:Quip知ってる?CD付いてた雑誌ね。

斎藤:伝説の雑誌でしたよね。

チバ:新井さんはQuipは?

──残念ながらQuipがアンダーフラワー関連の取材を始めたのはN.G.THREEがアンフラから離れた後です…。

新井:そうですね。僕らの時代、インディーズバンドを取り上げる雑誌が無かったんですよね。

斎藤:ファンジンとかですよね。

新井:ミニコミとかはめちゃめちゃ取材やったよ。ありとあらゆるミニコミに(笑)。

全員:(笑)

──ではアンダーフラワーに入ったきっかけなど教えてください。

チバ:お願いします、先輩!ミスター・ギターポップ!

新井:(笑)そうですね、当時はバンドを始めても同じようなジャンルの人たちが全然いなくて、でもライブやりたいから新宿JAMとか屋根裏とかのオーディションを受けたりして。でも僕ら的な、同じ音楽を共有できるバンドが中々いなくて。そんな中で、N.G.THREEのデモテープが回り回ってアンダーフラワーの田中さんの所にいったんですよね。(田中さん=UNDER FLOWER RECORDS社長)

チバ:それって、デモテープをどっかに送ったりしたわけじゃないって事ですか。

新井:そう、送ってない。CD屋さんとかには色々持って行ったりしたんですよね。ROUGH TRADEとかね。ラフトレの外国人の店員に「どうでしたか?」って聞いたら「おりじなりてぃガナイネ」とか言われてたけど。

全員:(笑)

(ROUGH TRADEイギリスのレーベル、レコードショップ。90年代は西新宿と原宿にも店舗があった)

新井:で、突然田中さんがライブを見に来てくれたんです。「レーベルを始めて、コンピレーションCDを作りたいから、参加してくれ」って言われて。いきなりCD化の話が舞い込んだっていう。

チバ:おいくつの時ですか?学生でした?

新井:21,2かな。大学生…2年の時かな。

──『FLOWER'S FLAVER/V.A.』ですか?今日はネタとしてアンダーフラワーが載っている号をいくつか持ってきまして、レーベル特集をした号のカタログページにあります。レーベルロゴにもなってる、お花マークのやつですね。

新井:それです!それで初めて自分の音楽がCDに…凄いね、資料があるんだね(笑)。

チバ:超レアなQuipじゃない?

斎藤:何年のQuipですか?

──これは…1997年10月発行号ですね。私が入る前です。リリースはいつだったんですか?

新井:ちょっと調べて良いですか?(スマホを取り出す)前に自分のホームページのDISCOGRAPHYに全部まとめて載せたんですよ。

チバ:おー!凄い!

新井:…1992年9月15日ですね。他にはZEPPET STOREとかね。

斎藤:THE CRUCIALSとか?

新井:そうそう。

チバ:今日、木村さんにも声かけてたんですけど、ラジオの番組があってNGで。

新井:そうなんだ。当時、SONiC FLOWERってめちゃくちゃカッコイイバンドがいて、SONiC FLOWERとZEPPET STOREが本当にカッコ良くて。僕は千葉からで、東京のバンドって凄えなぁって思わせた2バンドでした。

チバ:千葉って事はあれですか?日高央さんとか?

新井:あ、そうそう。日高君は別のバンドでね、まだビークルやる前で。PESELA-QUESELA-IN(ペセラケセライン)だった。

──持ってます、白いジャケのやつ(笑)。

斎藤:懐かしい。

チバ:俺も持ってる真っ白いやつ。

新井:当時よく対バンしたんですよ。イベントとか。

チバ:日高さんもね、実は誘ってたんですよ(笑)。スケジュールが合わなくてだめだったけど。

UNDER FLOWER NIGHT、チケットノルマ時代!

──当時のライブは何処で?

新井:恵比寿のGUILTYってとこ。UNDER FLOWER NIGHTってイベントなんだけど、僕らノルマを課せられるんですよ。

斎藤:(笑)

チバ:そういう事を言いましょうよ!(笑)。田中さん居ないのが悪いんだから(笑)。

──ところで今日は何で田中さんは来れなかったんですか?

新井:てっきり今日は居ると思ってたら、来たら居なかった。

チバ:明日は会えます(笑)。今日は自分のお店が忙しいって。吉祥寺の「YAKAN」ってお店ね(笑)。

斎藤:居ない時だから言える事を言いましょうよ(笑)。そのノルマの話とか(笑)。

新井:きつかったなぁー。

全員:(笑)。

新井:20人とかチケットノルマ課せられて、だから毎回ライブやるときにお金おろしてましたね。

チバ:それはギルティに課せられるんですか?それとも田中に課せられるんですか?

──呼び捨て!(笑)

新井:後者だけど、田中は田中でギルティに課せられてるから。

──呼び捨てが移った!

斎藤:(笑)じゃあ、初期のUNDER FLOWER NIGHTはノルマがあったっていう、新事実ですね。

チバ:そうだね。これ太字でね!

新井:もっと驚くべき事があって、僕らにノルマを課してるんだけど、田中さんは色んな人のライブに行ってタダ券配ってたの。

チバ:マジで(笑)

新井:でも、そのおかげで人は集まるんですよ。

──あーなるほど。当時のUNDER FLOWER NIGHTはGUILTYが定番の会場だったんですか。

新井:そうですね。GUILTYで1か月か2か月に1回くらい、結構頻繁にやってて。僕らは毎回出させてもらってて、毎回ノルマが…。

全員:(笑)。

新井:最初はお客さんも体育座りしてるような感じだったんだけど、どんどん増えていって。KERAさんとかも見に来てたかな。

チバ:有頂天の?

新井:そうそう。だから何だろ、戦略的には(笑)まあ、合ってたのかな。とにかくこういうシーンがあるんだって知ってもらう。

──それからどんな動きだったんですか。

新井:コンピレーションが3枚くらいあって、そこに毎回参加してて、僕らは僕らで単体でカセットテープをリリースしてたんですね。で、そのうちに田中さんから単体の作品出してみようかって言ってくれて。初の単独作品ですね、1993年。あ、その前に、サニーデイ・サービスとスプリット7インチ(レコード)出してるんですよ。

チバ:スプリット?へえー!

新井:田中さんがレコードを彫るマシンを持ってて。

斎藤:えー!(笑)

チバ:凄いな(笑)。

新井:昔は音楽の発表って言ったらカセットテープしかまだない頃に、彫って記念に持っておくような、そういう物だったらしくて。そのマシンと何も入ってない盤が50枚くらいあって、それでサニーデイとN.G.THREEで一面ずつ。

斎藤:それ凄いレアですね。それ持ってます?

新井:俺、ちゃんとしたのは持ってないんだよね。

チバ:世の中に50枚くらいしかないって事ですよね?

新井:そうそう。A面・B面、両方彫っていくんですよ。で、削りながらカスが出るんだよね。それを絵筆みたいなので除けながら(笑)すーごい作業なんだよね。

チバ:それは事務所で?

新井:曽我部君ちで。

全員:(笑)

新井:で、ちゃんと彫れてるかどうか聴き直すんだけど大体3枚に1枚くらい失敗してて(笑)。

チバ:エラーだ。エラー(笑)。

新井:そう、両面ちゃんと彫れたらやっと商品になるっていう。曽我部君がジャケット作ってくれてカラーコピーで入れて。

──凄いですね。

新井:…こないだラジオで、毒蝮三太夫が高円寺かなんかのレコ屋さんに突撃取材みたいなの行ってて、それを知り合いが聴いてて、「この店で一番高いレコードはどれだ?」って「あれです!」「N.G.THREEって書いてあるな」

斎藤チバ:おー!

新井:正にこれで、6万くらいって言ってたって。

──おー。凄いエピソードですね。そのスプリットがあって、からの単独CDと。

新井:はい。このころ「マスタリング」って物をまだ知らなくて、DATで直でやってて。

チバ:DATの時代だったんですね。

新井:DATは田中さんが持ってた(笑)。

チバ:たいていのもの持ってる(笑)。

斎藤:(笑)

新井:だからね、凄い、初期は色々お世話になりました。お互い何も分からない所から。

ザ・ガールハントは実はアンダーフラワーで一番アイテム数が多かった

──チバさんは田中さんとは何繋がりからだったんですか?

チバ:えーと、SHORTCUT MIFFY!のワンマンが渋谷のQUATTROであって、1998年くらいかな。

──えー、その頃のチラシも何枚か出てきまして、…これかな?渋谷QUATTROワンマン。

チバ:あ、それだ!何年のですか?よく取ってあったね。

──フライヤーってその時々で配り切る物だから年数とかあんまり載ってないんですよね。※調べたところ、1999年の6月。

チバ:それのオープニングアクトに呼ばれたんですよ、テルスターで。それで初めてお会いして、打ち上げで名刺交換させていただいて。女性のスタッフさんで大林さんて居たの知ってます?

斎藤:メグさん。

チバ:そうそう。大林さんから名刺を貰って、田中さんからは貰ってないんだけど(笑)。

全員:(笑)。

チバ:その後テルスターがプチ活動休止みたいな時期があって、その時にウチのメンバーでマスザワって奴がいるんですけど、新しいバンドを組んでみないかって。テルスターだと2人とも歌わないんですよ。

新井:ああ、そうなんだ。

チバ:僕はギターで、マスザワ君はキーボードで。俺達もちょっと曲作ってみたりしようよって、始めたのがザ・ガールハントっていうバンドだったんです。デモテープみたいな物を作った時に、誰かに聴いて貰いたくなって、その大林さんに送ったんですよ。

斎藤:田中さんじゃなくてメグさんに?(笑)

チバ:そうそう(笑)。だって連絡先知らないから。

全員:(笑)。

チバ:で、デモを送ったら、「良いじゃん」て連絡が来て。

新井:へえー。

チバ:で、一緒です、コンピからです。2002年かな。

──アンダーフラワーの歴史からすると後半くらいですか?

チバ:ああ、後半だと思うよ。

──とすると、アンフラ的にはstrawberryの方が先輩?

チバ:全然先輩、strawberryの方が先。

斎藤:ああー。そうか。あと、テルスターとLOVE LOVE STRAWってスプリット出してなかった?

チバ:あ、出した。

斎藤:そこからも繋がりあるよね。

チバ:そうだね。あと、確かアンダーフラワーで一番アイテム数が多いんだよ、ガールハントは。

──確かに沢山リリースありましたね。あと、スプリットは2001年の2月で…ここでQuipの別の号を取り出しまして…2001年9月発行号でもアンダーフラワーの特集をしているんですが、対談ページに斎藤さん居ますね。

斎藤:対談?どれどれ?あ!!

チバ:誰と誰の対談ですか?

斎藤:俺と佐野(ソフトタッチ)とクルーシャルズのやっちゃん(THE CRUCIALS/NEAT 佐藤)と沼倉さん(SHORTCUT MIFFY!)だね、これ。

新井:あはは(笑)。

斎藤:うわー全然覚えてない!それ、後でコピーさせてください!

全員:(笑)

──(笑)これはレーベル発足10周年の時の特集で、カタログページも大分増えています。

全員:わー。すごーい。

新井:俺等が最初の方に載ってて、コンピがもう無かったことになってる。

斎藤:廃盤になってるんでしょうね。

チバ:田中さんが居たら、どのアイテムが一番売れたか聞いてみたかったね。ぶっちゃけ。

斎藤:そりゃアジカンでしょ。

チバ:そうか(笑)じゃあアジカン以外で(笑)。

(ASIAN KUNG-FU GENERATIONの『崩壊アンプリファー』は始めはUNDER FLOWER RECORDSからリリース、後に現所属レーベルから改めてリリースした)

──話を戻しまして、斎藤さんがアンダーフラワーに入ったのは?

斎藤:僕は元々KOGA Records所属だったんですけど、地元がLOVE LOVE STRAWと一緒で。

チバ:福島?

斎藤:そうそう。田中さんのことはLOVE LOVE STRAW繋がりで知ってたんですけど、2000年くらいに、田中さんが吉祥寺に出てきて。やけに仲良くて毎日のように一緒に飲んでたんですよ。

新井:へー。そういう感じだったんだ。

斎藤:本当に毎日飲んでて、そうこうしてるうちに…当時は家も近かったんで、しまいには田中さんのお母さんと飲んでるとか。

全員:(笑)。

新井:凄いね(笑)。

チバ:ズブズブだね(笑)。

──ザ・ガールハントはQuipで表紙を飾ったこともありますね。その号も持ってきました。

チバ:これ、新宿LOFTの深海スペースの所で撮ったやつね。

──この号は…2004年の7月号。

チバ:16年前!

──この頃のアンダーフラワーはガルハンとスクラフィー、Multi Colored Vox、フィッシュバスケット等。

斎藤:懐かしいなぁ。どんどん日本語バンドになっていく時期だね。

新井:ああー。

──新井さんがもう分からないなって顔をしてますが。

新井:でもスクラフィーとか、勿論ガールハントは知ってるし、聴いたことはありますよ。後は分からないかな…でも、こういう雑誌に載ってるっていう事が凄いなあって思って(笑)インディーズで。

──でも新井さんが一番の先駆者と言うか。

チバ:新井さんが切り開いてくれたところを俺たちがくっついていっただけですよ。

斎藤:チバさんが最初に新井さんの事ミスター・ギターポップって言ったけど、ミスター・インディーズみたいな。

新井:いやいや、俺のもっと前からインディーズのシーンはあって、でも怖かったんだよね。

斎藤:怖かった?

新井:高校のときとか、DOLLとかFOOL'S MATEとか怖めで。

全員:ああー。

新井:LOFTとかにライブ見に行って、怖い・でも見たいっていう。そういう時代だったんですよね。

チバ:まだ西新宿にLOFTがあった時ですよね。

新井:そうそう。だから…怖くなくやりたいなと(笑)思ってたんですけど。

──新井さんが始めた頃はまだギターポップとか歌物のシーンが無くて、荒ぶるロックの中に入れられてたと。

新井:そう、でも、UNDER FLOWERの出現により、そういうバンドが居たんだ!って事が分かって。自分が知らないだけで、自分達みたいな人が周りに居たんだなって。1枚目のコンピはまだとっ散らかってる感じがあるんですけど、2枚目とか3枚目になるとギターポップとかシューゲイザー的な物が揃ってきて。

──そうですね。5枚目のコンピでSHORTCUT MIFFY!とLOVE LOVE STRAWが入って来て、新井さんはその前の初期時代なので、黎明期的な…。

新井:(笑)ノルマ時代。

チバ:アンダーフラワー・ノルマ時代!

──アンフラ中期のstrawberryはノルマの洗礼は無かったんですか?

斎藤:僕は無かったですね。KOGAでも勿論無かったですし。僕、優遇して頂いて…。でも古閑さんからは、新井君はこうだったよ、新井君のようになれって教訓のように言われてましたね。

──ああ、KOGAでも新井さんは先輩なんですよね(RON RON CLOU)。皆の大先輩!

斎藤:そう、だから何回も会ってても、いまだに緊張する。でも僕がKOGA入った時は、RON RON CLOUはもう上がっていて、NORTHERN BRIGHTをやってた時期だったから。対バン出来なかったんですよね。それで、何年かに再結成した時に対バン出来て。大好きな先輩です。

新井:嬉しいですね。長くやってみるもんですね。

2年くらい早かったら何もなかった。ラッキーだった。

──当時はアンダーフラワーがあって、KOGAがあって、UKプロジェクト、LD&K、TiNSTAR、chocolate&lemonade、escalatorとか、ギターポップを扱うインディーズレーベルが一気に動き始めたと思うんですよね。

チバ:あったあった。

新井:当時はCrue-L(クルーエル)あたりから、自分たちもやってみようって、色々出現して。古閑さんがやり田中さんがやり…。だからラッキーだったんですよね。それより2年ぐらい早かったら何もないと言うか、多分ライブハウスに出たくらいでバンド終わってたかも知れないし。ちょうど海外でのインディーズレーベルブームも受けて日本でもそういう…仲くんのトランペット・トランペット(escalator recordsの前身)とかCrue-L、あとthe Flipper's Guiterのトラットリアとかあったので、トラットリアはメジャーだったけど。そういう動きの中に居たので…すぐCD出せた(笑)。ラッキーでした。

──そしてUNDER FLOWERにはノルマを課せられて(笑)。

チバ:俺たちは課せられて無いけど新井さんは課せられて(笑)。

新井:(笑)でも、まあ、そういうのもしょうがないって言うか、何でしょうね。自分達だけだったら出来なかったからね。なんならコンピのレコーディング代も自分たちで出してたし。

チバ:あ、そうなんですか?

新井:そうそう。各バンド音源仕上げて提出するみたいな。

斎藤:へえー。

新井:でもCDを出せるっていう、それでもう大喜びしてたんで。田中さんも田中さんで自分でそんなに予算を持ってたわけじゃないと思うんで、「こういう人達を集めてCD出したい!」っていう熱意だけで集まった。お金はかかりましたけど(笑)。

──はい。皆さんから見た「田中さん」を教えてください。

チバ:やっぱり先見の明みたいなものがあったんじゃないかなって。今になって凄いアイテムだなって思うのが久住さんなの。後期の。知ってますか?『孤独のグルメ』の久住さん。

新井:あああ!うんうん。

チバ:あれの、作者が久住さんって言うんですけど、その人がやってるバンドのCDを出してるんですよ、アンダーフラワーで。

新井:へー。

斎藤:アンダーフラワー終了間際の音源だったんじゃないかな。

チバ:そうそう。畳む前の(笑)

──斎藤さんはどうですか?

斎藤:難しいな。最近の田中さんはあんまり分からないんだけど、やっぱりSHORTCUT MIFFY!とかLOVE LOVE STRAWの全盛期とかのアンダーフラワーは凄く輝いてたし、ああいうバンドを引き連れてた田中さんは凄いなあって。中期の『FLOWER'S ARE GO!』とか本当に統一感のある素晴らしいコンピレーションアルバムだと思いました。

チバ:でも最初はKOGAなんだよね。

斎藤:そうそう(笑)。でもRON RON CLOUの後輩になれたのが嬉しかったし。UNDER FLOWERでも後輩だし、全部幸せ。

チバ:おめでたいやっちゃな(笑)。

新井:やっぱりSHORTCUT MIFFY!の頃の感じがアンダーフラワーっぽいよね。クアトロでイベントやれるくらいになったのは凄いなって

──新井さんはどうですか?「僕が知る田中さん」は。

新井:そうですね…昔はロックな感じじゃなくて。THE STONE ROSESみたいな感じっていうのかな。だぼっとした感じで。で、ベーシスト。さっきも言ったけど、試行錯誤しながら分からない事にもチャレンジして、良くやってくれたなって。感謝がありますね。ノルマもありましたけど。

全員:(笑)

新井:…バックもあんまり貰ってないですからね。CDの印税も貰ってないし。

──え?本当ですか!

新井:でもそれって、あんまりソコを求めてなくて、本来は言わなきゃいけない所なんだけど、僕らN.G.THEREE的にはどうでもよくて。本当に出させてもらったことに感謝、どうぞそのお金でレーベル継続してくださいって感じでしたね。

斎藤:当時のアンダーフラワーのバンドマンでCDの印税貰ってないってバンド結構いるかも。

チバ:良くある良くある。

新井:1回くらいは貰ったかも知れない(笑)。

一番ちゃんとしてそうで一番ちゃんとしてないレーベル(笑)

──(笑)他にアンダーフラワー絡みで何かあれば。

チバ:俺ね、ヨシノモモコさんの話を聞きたいんですよ。そんなにお会いしたことはないんで。でも憧れの人じゃん。

斎藤:そうですね!もうレジェンド!レジェンド!

チバ:俺ら世代とかね。どんな方だったんですか。

新井:ヨシノさんは…凄い才能があって、THE AUTOMATICSの結成は田中さんのアイデアだったんだよね。SUNNYCHARやってたんだけど、もうちょっとロックっぽいのをやってみたらどうかなってヨシノさんと田中さんの間で話があって。で、RON RON CLOUにバックやって貰ったらいいんじゃないのって、僕らがバックやることになって。それまでは、ヨシノさんが一方的にN.G.THEREEの事を好きって言ってくれてて、僕もヨシノさんの作る音楽が好きだったんで。最初はPATE(ピート)っていうバンドとスプリットを出して、その後すぐにKOGAに(笑)。

全員:(笑)。

チバ:乗り換えた(笑)。

新井:逆パターン。

──(笑)最後に「僕にとってのUNDER FLOWER」を教えてください。

チバ:アンダーフラワー…田中さんありきって言うか、ちゃんとしてないじゃないですか?(笑)良い意味でも悪い意味でも。

全員:ああ(笑)。

チバ:俺も何個かバンドやってて、いくつかレーベルに所属してる中でも、一番いい加減て言うか(笑)。

新井:(笑)。

斎藤:俺も好きなところ!一番ちゃんとしてそうで一番ちゃんとしてない(笑)。

チバ:そういうところ(笑)。

全員:(笑)

チバ:僕的には居心地よかったですけどね。自分もそういうタイプの人間なんで。お世話になりましたよ、凄く。

斎藤:これ意外と難しいね。strawberryの最後にアンダーフラワーにお世話になって。自分が大学卒業して仕事始める中でバンドをお休みして田中さんとも距離が出来てって感じで。元々アンダーフラワーは凄く好きだったし、田中さんにお世話になれたのは凄く幸せな事だったなって。良い思い出ですね。

チバ:もう思い出なの?(笑)

斎藤:良い思い出として取っておきたい!じゃあ、新井さんお願いします。

新井:はい(笑)。そうですね、田中さん元気なの?

チバ:元気ですよ。こないだ会いましたけど。

──あの、皆さん田中さんの話だけになってますけど、アンダーフラワーについて(笑)。

全員:(笑)

斎藤:だってアンダーフラワーって田中さんだから。

チバ:そう、そういうこと。

新井:(笑)2人の言ってる通りですね。ずっと変わらなかったんだなって(笑)。規模が大きくなっても変わらなかったんだな。

斎藤:ノルマ時代から大きくは変わらなかった(笑)。

新井:自分のCDが何枚売れたかサッパリ分からないし。明日聞いてみよう。

チバ:あの時の印税いつ入りますか?って。

斎藤:今だから聞ける事もあるかも知れない!

新井:明日聞いてみます。僕らのファースト何枚売れたのかを。

全員:(笑)。

新井:お金の話じゃなくて(笑)あの頃のインディーズって何枚くらい売れたんだろうって。うん、感謝してます、田中さんには。僕らみたいなのを拾ってくれて。本当にそれは、それで今に至るので。

──はい。ありがとうございました。

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