第34回「他人に同調しすぎないバランス」

朗読詩人成宮アイコのされど、望もう

人の話、うまく聞けますか?

こんにちは、朗読詩人の成宮アイコです。

「〜と思ったのですが、違いますかね、ちょっとそう思っちゃっただけで見当違いだったらすみません、全然忘れてください、でもそう思ったのにはわけがあって、前にもうちの両親に似たことがあったんですけど、あ、わたしもまさかとは思っていたんですけど、これは〜」

永久に終わらなそうな話を聞きながらぬるいコーヒーを飲み、大きめに息を吐いてしまいました。あ、イライラが顔に出てしまった、と焦って思わず水のコップを手に持って水滴を拭きます。

こんなコラムを書いているわたしに言われたくない! という大前提はさておき、会話のやりとりがどうもうまくいかない人に出会うと、ついじっくり話を聞いている風を装ってしまいます。

たとえば今朝立ち寄ったお店のコーヒーがぬるかったという話も、「いや、いつもはカフェラテを注文するんだけど、今日はなんかブラックの気分で、朝起きたときに今日は寒いなと思ったからかな」にはじまり、「お店までの道が工事をしていて遠回りしたんですよ、そのとき信号待ちをしていたら隣で待っていた人が新しいお菓子屋さんの紙袋を持っていてそこにまだ行ったことがないなって思って、あ、新しいお菓子屋さんとか興味なかったらすみません、それで……」

「ぬるいコーヒーってやだよね」の一言を挟むすきは見つけられないまま、いつの間にかコーヒーの話は消えていました。別に言わなくてもいいただの相槌ですが、発しなかったその言葉はわたしの心にどんよりと残って苛立ちに変化し、そんな自分が極悪人に思えます。

この調子でこれまで人間関係が大変だったのではと勝手に思い込み(陽キャで人気者かもしれないのに失礼極まりない)、つい一生分話を聞きますよ退屈なんてしていませんよ、という気持ちが湧き出そうになります。気が長いわけでもないわたしにそんなことできるはずがないのに。

そう思うのはたぶん、その人が自分自身に似ているからです。自分のうまくいかなかった過去を思い出し、他人の背景を引き寄せ、これまでの人生を妄想して相手を苦労人にでっちあげて同情してしまう(まじで失礼極まりない)。

わたしは、文章を書いてコミュニケーションをとることを覚え、なんとなくその場をしのぐ程度の会話を覚えただけ。でもそれで、やりすごせた自分を責める必要はないし、自分に似ているからとだれもかもに歩み寄って、傷つかないように過剰に守ろうとする必要もない。「そろそろ帰りますね」と言ってもいいし、自分の都合で自由に席を立っていい。相手がこれから暇になってしまうかもなんて行きすぎた心配はしなくていい。大変だっただろうから聞いてあげようなんて優しさじゃなくてただの傲慢、思い上がりもいいとこ、何様〜!

……とは何度も思っているのですが、考え方の癖ってこわいですね。

人の気持ちを汲み取ろうとしすぎる。

これは、優しくありたいというわたしの安易な逃げです。

なぜなら、とてもこわいことに、なによりわたし自身が人に優しくされたいと思いすぎているから。

Aico Narumiya Profile

朗読詩人。朗読ライブが『スーパーニュース』や『朝日新聞』に取り上げられ、新潟・東京・大阪を中心に全国で興行。2017年に書籍『あなたとわたしのドキュメンタリー』刊行(書肆侃侃房)。「生きづらさ」や「メンタルヘルス」をテーマに文章を書いている。ニュースサイト『TABLO』『EX大衆web』でも連載中。2019年7月、詩集『伝説にならないで ─ハロー言葉、あなたがひとりで打ち込んだ文字はわたしたちの目に見えている』刊行(皓星社)。

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