野村克也氏は「野球を言葉にする詩人」 13年間仕えた燕池山2軍監督が語る名将【前編】

今季からヤクルト2軍を率いる池山隆寛監督【写真:片倉尚文】

池山氏はヤクルトの選手で9年、楽天のコーチで4年、野村氏に仕えた

 2月11日に虚血性心不全のため84歳で亡くなった野村克也氏。現役27年、選手兼任を含めてNPBの監督を24年、社会人野球シダックスの監督を3年務め、日本球界に計り知れない功績を残した。

 特筆すべき功績は「人材」を残したことだろう。今季のNPB12球団で、野村氏の薫陶を受けた監督は実に6人。日本ハム・栗山英樹監督、楽天・三木肇監督、西武・辻発彦監督、ヤクルト・高津臣吾監督、中日・与田剛監督、阪神・矢野燿大監督が現役時代に指導を受けた。侍ジャパン日本代表を率いる稲葉篤紀監督も“野村チルドレン”だ。

 そして、今季からヤクルトの2軍を率いる池山隆寛氏は「野村野球」に最も触れた1人だろう。ヤクルトの選手として9年間、そして楽天の1軍打撃コーチとして4年間、実に計13年間も野村氏に仕えた。池山氏は宮崎・西都市で行われていた2軍キャンプを離れ、死去翌日の12日に東京都内の野村氏の自宅を訪れ、恩師と最後の対面をした。

「ヤクルトのユニホームを着て綺麗な顔で眠っておられた。色んなユニホームを着られた中からヤクルトのユニホームで……。本当にこれだけの時間を一緒に過ごさせていただいて、自分にとってかけがえのない経験であり、財産になっている。感謝しかありません」

 野村氏がヤクルトの監督に就任した1990年のこと。「チームにタレントはいらない」と野村氏が話しているのを池山氏は報道で知った。前年1989年に34本塁打を放つなどチームの「顔」に成長していた池山氏は自分のことだと思い当たる。

ミーティングで紡ぐ言葉に驚嘆「野球を理論的に言葉に、野村さんにしかできない」

 池山氏は戦々恐々として同年のキャンプに臨んだが、ミーティングに驚かされたという。「最初は野球に関係ない話ばかり。『仕事の3大要素』とは、とかですよね。野球人である前に社会人であることを教えられた。選手を終えてからの人生の方が長いと……。これは書かないといけないとすぐに思ったんです。最初は書き写すので精一杯。後で清書して読み返していました」。

 日々書き写し、読み込むうちに少しずつ腑に落ちていったという。「野球を論理的に言葉にする。野村さんにしかできないことだと思います。改めてノートを読み返してみても、よくこういう言葉が出てくるなと……。詩人のような方だと思いますよ」

“詩人・野村克也”のタクトにのって池山氏らは躍動。92、93年にセ・リーグ2連覇を達成し、特に93年は難攻不落の森・西武に前年のリベンジを果たして日本一に輝く。「いつか野村さんが話していたことがある。『1992、93年が一番良かったな』って……」。

 意外にも選手時代、池山氏は野村氏に雷を落とされた経験はないという。「主力選手には気を使っていたと思いますね。僕らに聞こえるように周りの選手を怒っていることもありました」。一方で、直接褒められることも少なかった。「『ホンマ、よう打ったな』とかくらい。そういうところは口下手なんですよね」。

 1990年から野村氏と過ごした濃密な9年間。しかし、これで終わりではなかった。2006年。野村氏が球団創設2年目の楽天の監督に就任すると、池山氏は1軍打撃コーチとして仕えることになる。

(後編に続く)(片倉尚文 / Naofumi Katakura)

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