【やまゆり園 事件考】共生を求めて(1)子どもの輪に入りたい

 重度の障害があり、人工呼吸器を付けて暮らす川崎市の男児(8)と両親が特別支援学校ではなく小学校の通常学級への通学を求めて市と県を提訴した訴訟の判決が18日、横浜地裁で言い渡される。どんなに重度の障害があっても地域の同世代の子たちと共に学び、育っていってほしい─。社会に巣くう排除の思考に異を唱え、法廷で闘ってきた家族の苦悩に迫る。

 午前中の寒さが和らぎ、柔らかい日差しが差し込んできた。2月上旬の平日の昼下がり。光菅伸治さん(51)、悦子さん(50)夫婦と長男和希君は横浜市青葉区の新石川公園を訪れた。

 50段ほどの階段を上った丘の上に全長約19メートルの滑り台がある。和希君お気に入りの遊具だ。

 母の悦子さんがバギーに乗る和希君に顔をぐっと近づけ、語り掛けた。

 「滑り台やる?」

 少しの間があってから、和希君がささやいた。

 「やるー」

 伸治さんが約5キロの人工呼吸器をリュックサックに入れて背負い、身長約113センチ、体重11キロの和希君を抱っこひもで抱えた。ゆっくりと階段を上っては一緒に滑る。何度も繰り返すと次第に伸治さんは息を切らし、額に汗を浮かべた。

 そんな父の献身をよそに、和希君の表情はあまり変わらなかった。下校時刻が過ぎ、滑り台で遊ぶ子が増えてからようやく笑みを浮かべるようになった。

 伸治さんは苦笑した。

 「私と遊ぶよりも、和希は子どもたちが遊んでいる姿を見る方が好き。その輪の中に入りたいという気持ちが強いのだと思う」

 全身の筋力が弱い難病「先天性ミオパチー」の和希君は常に呼吸器を付けて暮らしている。生活全般で介助が必要で、たんの吸引などの医療的ケアも欠かせない。鼻の穴に入れた管を胃まで通して栄養を取る。

 川崎市と県の両教育委員会が就学先として指定した県立特別支援学校には昨秋から通っていない。支援学校は個別支援という形で教諭と接する時間が長く、子ども同士の関わり合いが少ないと感じたからだ。伸治さんの憂いは深い。

 「支援学校に通っていると和希の反応がなくなった。子どもたちから刺激を受けて過ごす方が、生き生きとした表情を浮かべるのは明らかだった」

 だが、重度障害児にとって学校以外の日中の居場所はほとんどない。地域の小学校の通常学級での交流授業は週1回1コマ程度に限られている。冬場の寒い時期に和希君が過ごしやすい屋内スペースもなかなかない。結果として自宅で過ごすことが多くなっている。

 「同世代との関わりが多い小学校に和希を通わせたい」。両親の切なる願いがかなわないまま、間もなく2年もの歳月が過ぎ去ろうとしている。

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