25歳で初当選!議員は裏方の存在 華やかさは必要なし!?(岩永久佳・多摩市議インタビュー)

「女性議員が増えることで、本当に、暮らしやまちは良くなるのか?」--。
2018年5月に成立した「候補者男女均等法」では、女性候補の割合を50%にするよう政党に努力義務を求めています。女性議員の増加は、政治や社会にどんな変化をもたらすのでしょうか。政治の現場で活躍する女性議員へのインタビューを通じてその実情に迫ります。

今回は、多摩市議会議員の岩永ひさかさん。2002年の補欠選挙で初当選以来、連続6期当選。2017年には多摩市議会議長に就任。被選挙権年齢に達したばかりの25歳で初当選した彼女は、今も強い信念で地域と暮らしに向き合っています。

 

新しい働き方への関心をきっかけに

池田:今日はよろしくお願いします。ひさかさんは、昨年の統一地方選挙で6期目ですね?

岩永:そうですね。最初が補欠選挙で1年で任期が終わってしまったので、選挙は6回やっています。

池田:その最初の補欠選挙に出馬することになったのは、どういったきっかけでしたか?

岩永:私は就職氷河期の最中に大学を卒業して、就職していましたが、やはり思い通りにならないことも多くて。政府系の金融機関でしたが、いわゆるOL、事務のアシスタントという立場でした。

同じ職場には私と同じ大学を卒業した男性がいましたが、上司が「中央大学卒業なのになんで一般職をやっているの?」なんていうことを何のためらいもなく、平気で言ってくるんです。

大学在学中はちょうど国内でNPOの活動が始まりつつある時だったこともあって、「新しい働き方」というキーワードに惹かれて公民館で行われていた学習会へ行きました。その時にたまたま学習会を主催していたのが「生活者ネットワーク」という団体でした。その講師が片岡勝さんという市川房江さんの選挙を菅直人さんたちと一緒にやられていた方でした。

興味深いNPO活動などもやっていたので、仕事が終わってから、その活動に参加しつつ、何かもっと地域でやれることはないだろうか、って考えていました。ちょうどそのころ、大学のゼミの先生が多摩市で市民自治基本条例をつくる活動に学識経験者の立場で関わっていることを知り、「面白そうだなぁ」とそのワークショップへふらりと参加しました。

ワークショップでは条例の市民案を作成し、発表会までやり、私は若いから・・・というだけで、司会者をやらせてもらいましたが、・・・なんと、その旗振り役であったはずの市長が収賄で逮捕されてしまいました。市が主催していたワークショップでしたから、一緒に活動していた市民の方々の落胆は本当に大きかったことを覚えています。

そして、市長選挙が行われることとなり、同時に多摩市議会の空席を埋めるための補欠選挙が行われることになりました。その時に、生活者ネットワークから「選挙に出ませんか?」ってお声がかかって、「え!?」「でもまぁ、いいかな」みたいな感じで。これがきっかけです。

ゼミの先生が「捨てるものが何もないから出るのがいい!」と後押ししてくれました。随分、あとになり、じっくり考えてみれば、なんという無責任な・・・と思いますが、当時は「じゃ、やろう!」という若さ、勢いがあり、正直、後先考えないで決意をしました。

池田:(笑)。最初の選挙は、選挙運動のやり方とかは生活者ネットワークが教えてくれて?

岩永:全部、教えてもらって・・・というより、あれよあれよという間に選挙が始まり、終わりました。生活者ネットワークは議員ではなく「代理人」という立場なので、選挙は組織が丸抱えで、候補者は御輿に乗るだけという感じです。

ただ、立候補する直前に大学の先輩で都議選に出馬した経験のある方に相談したら、「信頼できる政治家をつくる」という活動をしているステイツマンという団体が紹介されました。「同世代にも関わってもらったほうが良い」というアドバイスをしてくれたのが先輩です。先輩もその団体で活動していたので、一緒にやろうと応援してくれることになりました。

生活者ネットワークの活動は、基本的に団体としての活動が中心なので、広報物も団体の機関紙としての扱いでしたが、ステイツマンは「岩永ひさか」個人を応援する活動でした。なので、機関紙だけではなく、岩永ひさか本人のものを配布したい、という違いもありました。

でも、生活者ネットワークが新しい議員を出したい、という思いで違いを寛容に受け止めてくれたので、結果的にステイツマンと生活者ネットワークが両輪となって動いてくれました。

池田:そしたら、最初の選挙は自分でこうしたい、例えば、駅で演説したい、とか、選挙カーはこういうのがいい、とかっていう希望は?

岩永:全然なかったです。全く何も分からなかったので。

池田:そりゃそうだね。

岩永:3月に「選挙に出ませんか?」って打診があって、「え?まだ24歳ですけど」って言ったら、「いや、誕生日が来たら25歳になるから、大丈夫」って言われて、その直後に25歳になって(笑)、急いで退職届を書いて、上司には驚かれ、でも、すんなり退職することができ、3月31日付で会社を退職して4月1日には「はい、マイク持って!」って。

池田:わぁ!そしたら選挙前の政治活動なんかも出来ないね。

岩永:無い、無い。4月21日が投票日だったので。

池田:わぁ・・・。

岩永:2週間で人生が変わっちゃった(笑)

池田:その時はひさかさん個人の名簿とかもないわけだよね?

岩永:そう。生活者ネットワークには名簿はありました。

池田:当時は都議に生活者ネットワークの方がいらっしゃったんだっけ?

岩永:そう。当時、新井美沙子都議に選挙に出ないか、というお話をいただきました。

彼女は市議を経験した後に、ご主人の転勤で一旦は多摩市を離れて、また戻ってきた後に都議会議員になった方です。東京ランポというまちづくりNPOの活動もなさっていて、とっても素敵な方でした。お母さんのように思っていて、でも、雲の上のような憧れの存在。

彼女に誘われたからこそ、選挙に出てみてもいいかなあと。でも、新井さんは癌で亡くなってしまい、本当に残念で、今でも彼女がいればなあ…と思うことがあります。

池田:その時は、生活者ネットワークとか、民主党とか、自民党とかの違いとかは理解していて?

岩永:知らなかったですね。生活者ネットワークの「代理人」…?????でした。

池田:そしたら、その新井さんや生活者ネットワークとの出会いや人間関係がきかっけだったのかな?

岩永:そう。新井美沙子さん、という存在は大きかったですね。

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