なぜ少年野球の「盗塁」は禁止すべきなのか? 背景にある「野球離れ」と「勝利至上主義」

なぜ少年野球の「盗塁」は禁止すべきなのか

現代の少年野球で増えるワンサイドゲーム、その原因が「盗塁」

 1か月ほど前に「少年野球に盗塁は必要か」というコラムを書いたところ、大きな反響があった。賛否両論の声があったが、実情についてもう少し踏み込んで記しておきたい。

 今の小学校の野球(学童野球)では、ワンサイドゲームが多くなっている。その大きな要因が「盗塁」だ。強いチームは打球を転がして出塁し、すかさず盗塁、バントで得点する。弱いチームは盗塁を阻止できず、失策も絡んで失点を繰り返し、コールドゲームで負けることも多い。なかには攻撃側がいつまでも3アウトにならず、イニングが終わらない「試合崩壊」とでもいうべき状況も起こっている。

「盗塁も野球のルールだ」「勝負だから仕方がない」という意見もあるが、少年野球は「子どもの健全な育成」が目的のはずだ。勝負にこだわり過ぎるのは、その本分から外れている。また勝つ方のチームも、投げる、打つなどの能力を十分に発揮することなく勝ってしまうのは、健全だとは言えないのではないか。

 実は少年野球の「盗塁の弊害」が問題になってきたのは、最近のことだ。その背景には2つの問題が存在する。

 1つは急速な「野球離れ」。日本スポーツ協会が発表したスポーツ少年団の学童野球部員は2010年は男女合わせて18万58人だった。これが2018年には12万1233人と33%も減少している。多くの学童野球で、選手数が減少している。9人そろえるのが精いっぱいと言うチームもでてきている。

 学童野球の大会は、従来5~6年生が出場することが多かったが、今では4年生、ときには3年生以下が試合に出ていることもある。また、高学年であっても野球経験がほとんどない子どもがユニフォームを着て試合に出場することも多くなった。地域には選手数が多くレベルの高いチームもあるため、チーム間の実力差が開いているのだ。

「勝利至上主義」に走る指導者にも原因が…

 昭和の時代、野球は日本のナショナルパスタイムだった。その時代の小学生は空き地や公園で思い思いに野球あそびをしていた。当時、学童野球クラブに入るのは、その中でも野球が得意な子どもだった。もともとレベルが高かったのだ。しかし、今、学童野球クラブにはそれまでほとんど野球経験のない子も入ってくる。数も減っているうえに、レベルも下がっているのだ。

 最近の学童野球の試合では、試合前のノックを見るだけで実力差がはっきり分かることもある。強いチームの子どもはゴロを捕って普通に送球することができるが、弱いチームの中にはゴロを捕球することができず、ボールがグラウンドのあちこちに転がっていたりする。こういう対戦では、試合結果はやる前からわかっている。そして強いチームが「ゴロ、バント、盗塁」の繰り返しで延々と点を取り続けるという光景を目にする。

 もう1つは「勝利至上主義」だ。野球離れが進む中で、選手を集めるために「全国大会出場」や「○○大会優勝」などを売り文句にするチームがある。そういうチームは選手数を維持するために「結果」を追求することが多く、指導者が「教育」「育成」よりも「勝利」を優先させることにつながっている。

 また、競技人口は減っているが、大会数は減っていないので、各チームの試合数は増加する傾向にある。このため強いチームは「楽をして勝利を求める」傾向が強くなる。少年野球の指導者の高齢化も大きい。ベテラン指導者の中には、最新のコーチングやスポーツマンシップなどについて学んでいない人が多い。このために「勝てばいいんだろう」という指導をしがちになっている。

 アメリカのリトルリーグでは盗塁が実質的に禁止されている。リトルリーグには様々な体力、能力、経験値の子どもがやってくるからだ。上のレベルに合わせてしまうと小さな子ども、経験に乏しい子どもが野球を楽しむことができない。とりわけ「盗塁」は、技量の格差が出やすいため、盗塁を禁止したのだ。「少年野球は何のために行っているのか」を考えれば、リトルリーグの方針は誠に妥当だと言えるだろう。

「盗塁のない野球なんて考えられない」「盗塁阻止できないなら、努力すればいいじゃないか」と言う人は、少年野球の試合を見ることをお勧めする。危惧するのは、いつまでも相手の攻撃が終わらない試合を経験した弱いチームの子どもが「野球なんて面白くない」と思うことだ。「野球離れ」が加速しかねない。「みんなが野球を楽しめる」環境を作るためにも、少年野球の「盗塁」は見直すべき時に来ている。(広尾晃 / Koh Hiroo)

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