息子の死「昨日のよう」 戦闘員の母、止まった時間 10年目のシリア内戦(上)

 シリア内戦は3月で10年目に入った。アサド政権が反政府デモを武力弾圧して始まった戦いは、政権が全土の7割を掌握し、勝利をほぼ手中に収めた。死者は38万4千人とされ、住居を追われた人々は1千万人を超える。国連のグテレス事務総長は「破滅と悲惨さをもたらした10年」と評した。長期化した内戦を今、どう受け止めているのか。戦闘員の遺族、国外に逃れた難民たちに尋ねた。2回に分けて報告する。(共同通信=日出間翔平)

シリア内戦で死亡したヒズボラ戦闘員らを追悼する看板=2月1日、レバノン南部ナバティエ(共同)

 シリアの隣国レバノン南部ナバティエの小さな村では、イスラム教シーア派武装組織ヒズボラの黄色いのぼり旗が目につく。ほぼ全員がヒズボラの支持者だという村の家々には、若い男性たちの写真やポスターが掲げられていた。シリア内戦に派遣され「殉教」した戦闘員の遺影だ。

 現在は優位を固めているアサド政権軍だが、当初は反体制派や、混乱の中で台頭した過激派組織「イスラム国」(IS)に押し込まれ、守勢に立たされていた。その後、ロシアやイランの軍事支援を受けて持ち直した。イラン革命防衛隊の指導の下で1982年に組織され、4万~5万人の兵力を持つといわれるヒズボラも多くの戦闘員をシリアに送ってきた。

 スンニ派のISが支配地域を広げる中、シリアで死亡したヒズボラの戦闘員は「テロリストを食い止めた英雄」(村の住民)として称賛された。英国に拠点を置く非政府組織(NGO)シリア人権監視団の集計によると、9年間の内戦で1697人のヒズボラ戦闘員が死亡した。

 「まるで昨日のことみたい」。シリア北部の激戦地だったアレッポで命を落としたヒズボラの戦闘員ビラール・アイヤシュさん=当時(22)=の母ファティマさん(49)は、息子の命日である2016年8月30日をそう振り返る。「内戦の長さは感じない。時間が止まっているように思うから」

 朝から慌ただしい日だった。2カ月後に結婚式を控えたビラールさんが妻と暮らすために取り寄せたソファやテーブルが、家の2階の部屋に次々と運び込まれていた。夜中になって、村の有力者たちが突然訪ねてきた。その顔を見て、何を伝えに来たかをすぐ理解した。

 アサド政権軍と共にISの掃討作戦を展開中に撃たれたと聞かされた。涙は出なかった。駆け付けた親族や友人は号泣し「誇りに思う」と言ってくれた。感謝を伝えながら、自分はなぜ泣けないのかを考えていた。夫のフセインさん(58)や親族の男性たちも戦闘員だったから「死に慣れすぎていたのか。それとも現実だと思えなかったのか」。今でも分からない。

ヒズボラ戦闘員だったビラール・アイヤシュさんの母ファティマさん=2月1日、レバノン南部ナバティエ(共同)

 ファティマさんが最後にビラールさんに電話をしたのは死亡の2日前。「お母さんが祈ってくれれば大丈夫。危険は全くないよ」。いつもの落ち着いた声が耳に残っている。ビラールさんは同じくアレッポに派遣されていた弟にも「作戦のことはお母さんに話すな。心配させたくない」と語っていたという。

 両親はビラールさんを「穏やかな子」だと口をそろえて言った。幼いころから絵が得意で、グラフィックデザイナーとして収入を得られるようになったところだった。「シリアから戻ったら家庭を持ち、より活躍しただろう」と話すフセインさんに「ビラールさんも人を殺したと思うか」と質問した。「戦場の前線にいたんだ」とだけ答えが返ってきた。

 ファティマさんは今も不思議な夢を繰り返してみる。蜂蜜が好物だったビラールさんが仲間と蜂の巣を取りに行く。「みんな蜂に刺されて死んだのに、なぜか僕だけ死ななかった」。そう言った息子に「あなたがどうやって死んでしまったのかを教えて!」と叫ぶ。すると目が覚め、気持ちは死を知らされた日に引き戻されている。

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