行き場なく「ただ死を待つ日々」 難民、周辺国に550万人 10年目のシリア内戦(下)

 10年目に入ったシリア内戦は、アサド政権側が優位を固めたが、なお終わりが見えない。周辺国では難民となった約550万人が暮らし、9年間で約100万人の子どもが難民として生まれた。故郷に戻る見通しは立たない。戦火を逃れたはずの難民の一人は「死ぬ日をただ待っているだけ」と嘆いた。避難先での息苦しさは募る一方だ。(共同通信=日出間翔平)

レバノン東部ベカー平原のシリア難民キャンプ=3月10日(共同)

 レバノンの首都ベイルートから車で1時間半ほど山道を上った先にベカー平原が広がる。石や木材にシートをかぶせた小屋がいくつも並んでいた。越えればシリア国境という山々を見つめ、シリア人のアドナン・アリさん(38)が言った。「できるなら今日にだって帰りたい」

 激戦地だった北部アレッポから来てもう4年がたつ。アレッポは2016年末にアサド政権軍が制圧し、国内避難民の帰還も始まった。だがアリさんは「家は政権軍の攻撃で壊れた。仕事はない。帰っても生活できない」と話した。シリアでは国民の8割以上が貧困状態にあるといわれている。

 中東の小国レバノンは第2のシリア難民受け入れ国で、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、その数は約91万人。人口の約6分の1だ。最大の受け入れ国はトルコで、約359万人が難民登録をしている。未登録者を含めると「400万人」(ソイル内相)ともされる。

 シリア国境に接するトルコ南部レイハンルの住民はトルコ人よりシリア人が多い。アラブ料理店で毎日12時間働くシリア難民の店員アハメド・ハッサンさん(24)の月給は1800トルコリラ(約2万9千円)。トルコ人の最低賃金を下回るが「自分はリーダーだから、ほかのシリア人よりかなり多い」と小声で打ち明けた。

 内戦が始まって1年がたったころ、生まれ育った中部ハマ郊外の村をアサド政権軍の兵士が取り囲んだ。村は当時、反体制派の支配地域だった。別の村に逃げ、しばらくして戻ると自宅は空爆で全壊していた。「祖父やいとこたちはみな政権軍に殺された。もうここには住めない」と思った。

 8年間トルコで暮らし、トルコ語も不自由なく話す。トルコで出会ったシリア人の妻との間に娘が2人生まれた。でも「よそ者のラベルは取り外せない」。トルコではシリア人に「仕事を奪われている」という不満が根強くある。「職場の店と家を往復するだけの日々」でも何度も差別を経験した。

 トルコはシリア内戦で反体制派を支援している。今年2月、アサド政権軍の攻撃でトルコ兵にも多くの死者が出ると、反難民感情は一層高まった。「やつらのために私たちの兵士が死ぬのはなぜ?」「トルコで水たばこを楽しむ難民」。インターネット上はこんなコメントであふれた。

取材に応じた密航ブローカーの男=3月10日、レバノン・ベイルート(共同)

 周辺国が国境を閉鎖し、取り締まりが強化されても、アサド政権下のシリアから越境を試みる人は後を絶たない。3月上旬の夜、ベイルートの薄暗い店で密航ブローカーの男が取材に応じた。男が持つ二台の携帯電話には「顧客」やグループのメンバーから絶え間なく連絡が入る。これまで越境させた人数は「千人は超える。いちいち覚えていない」と答えた。

 「今トルコに行くなら一人5千ドル(約54万円)からだ。成功の確率は50%」。トルコはシリア難民をこれ以上受け入れられないとして国境を閉じているが、男は「国境警備員に賄賂を渡せば行ける」と話した。ただ最近は要求額が高騰しているといい、トルコを諦め「より安価な」レバノンやヨルダンを選ぶ人が大半だという。

 避難先での苦境も深いようだと話をふったが、男は「シリアで暮らすよりましだから行きたがるんだろう」と関心を示さなかった。一方で携帯電話につけていたアサド政権軍のエンブレムのことを聞くと、途端に冗舌になった。「俺はアサドの大ファンなんだ」

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