アイヌ民族は食糧や毛皮を得るため、男性は季節を通じて弓矢やわなを使って動物を狩った。獲物はエゾシカやヒグマ、キタキツネ、エゾリス、鳥類など。特にエゾシカはサケと並ぶ代表的な食糧で、積雪期には追い込み猟も行われた。アイヌにとって狩猟で得る獲物は重要な収入源だった。が、明治時代、北海道旧土人保護法などを背景に漁や習慣、風習とともに狩猟は禁止された。
その風習を取り戻そうとする人がいる。「狩猟民族アイヌに生まれついたからには、自分も狩りで身を立てたい」。北海道平取町の門別徳司さん(37)は、シカを狩るハンターになる道を選んだ。(共同通信=團奏帆)
その狩猟は、民族の伝統と現代を掛け合わせた独自のスタイル。山に入る時には、今は亡きエカシ(古老)から教わったアイヌ語の祈りを山の神にささげる。静かな小川のほとりでシラカバの樹皮を燃やして行う儀式は、古くは伝統家屋「チセ」のいろりの火を前に祈っていたという。猟銃は、はき古したジーンズ生地にハンターカラーのオレンジ色の糸でアイヌ刺しゅうを施して作った袋に入れて担ぐ。
草木が生い茂る季節、身を守るため着けるのはアイヌの手甲「テクンペ」。やはりジーンズを再利用し刺しゅうを入れた手製で、手の甲から肘近くまでを覆う。
「伝統的な方法や道具とは少し違うかもしれない。でも道具や手法は使い手が便利なように進化する。それが生きている文化ってことじゃないかな」
幼いころから山は遊び場で、猟師も身近だった。「いつか狩りをしてみたい」と思っていた。10歳を過ぎた頃、自分がアイヌと知り、アイヌについて知りたくて舞踊を継承する保存会に入った。
狩猟と採取で生きてきたアイヌ。明治時代に狩猟を禁止され、今やその手法は資料とエカシの話の中にしか残されていない。「外国では先住民族の狩猟が権利として認められている国もある。環境が違えば、自分もアイヌとしてごく自然に狩りをしていたかも」
胸の中にくすぶり続けていた狩りへの思いは消えず、30歳を機に狩猟免許を取得。数年後に勤め先を辞めハンターになった。車で山に入りシカを仕留めることが生活の一部になった。
新しい目標もできた。失われた先祖の技術をよみがえらせること。イチイの木に桜の樹皮を巻いてしならせ、シカの背中の腱をよって張った弓。チシマザサやシカの骨を使った矢。資料をもとに作ってみた伝統的な弓矢を使うには、まだまだ改良や練習が必要だが「いつかこれで狩りをしてみたい」。自分はアイヌ。自覚は揺るぎないものになっていた。
「アイヌってまだいるの?」と聞かれることがある。チセに住み、電気や便利な道具のない暮らしをしているのがアイヌなのか。でも、自分は生きている。形は変わっても魂はアイヌだ。「今を生きているアイヌがここにいる。民族も文化もここにある」
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