王かバースか落合か… 84年で7人しかいない3冠王で“最強の3冠王”は?

ランディ・バース氏(左)と王貞治氏【写真:荒川祐史、Getty Images】

王貞治は史上初めて2年連続で3冠王に輝いた打者

3冠王とは同一シーズンに首位打者、本塁打王、打点王を1人の打者が獲得することだ。打者の最高の栄誉とされるが、難易度は極めて高い。NPBの84年の歴史の中で、7人の打者が11回記録しただけだ。そこで11例の3冠王を成績に注目し「3冠王の中の3冠王」を選んでみたい。()は2位との差だ。

○1938年秋:中島治康(巨人)
打率.361(.041)10本(5)38打点(4)
戦前唯一の3冠王となった中島治康。ただ、プロ野球は1938年までは2シーズン制で個人成績も別々だった。この記録は40試合制で記録されたもの。この記録を他の1年を通しての3冠王と同列で比較することは難しいため、参考記録とする。

○1965年:野村克也(南海)
打率.320(.009)42本(4)110打点(22)
1953年から58年までの6年間で中西太(西鉄)が4度、2冠王になり戦後初の3冠王は間違いないと言われたが、結局、3冠王には届かなかった。そして、野村が1965年に戦後初の3冠王に。阪急スペンサーとデッドヒートとなったが、シーズン終盤にスペンサーが事故に遭って離脱。野村が3冠王となった。野村は通算打率.277とアベレージヒッターではない。キャリアで1度だけ獲得した首位打者が3冠王に繋がった。

○1973年:王貞治(巨人)
打率.355(.042)51本(14)114打点(24)
王は1962年から72年までの11シーズンで10回2冠王を獲得。この間で王の3冠王を阻止したのはチームメイトの長嶋茂雄であり、広島の森永勝也、中日の江藤慎一や中暁生(利夫)、ヤクルトの若松勉だった。巨人V9の最終年の1973年、ついに王はセ・リーグで初の3冠王に。打率、本塁打、打点共に2位を大きく引く離す圧勝だった。

○1974年:王貞治(巨人)
打率.332(.010)49本(4)107打点(12)
巨人の連覇が9で途絶え、そして長嶋茂雄が引退した1974年。阪神の田淵幸一がキャリアハイの45本を打ったが、王は田淵を振り切って2年連続の3冠王となった。打点でも田淵が2位だったが、田淵に12打点の差をつけていた。この年、王は158四球、45敬遠という驚異的なNPB記録も樹立。まともに勝負してもらえない中での3冠王だった。

NPBの歴史でただ1人、3度の3冠王に輝いたのは落合博満

○1982年:落合博満(ロッテ)
打率.325(.010)32本(2)99打点(14)
1981年に初めて規定打席に到達していきなり首位打者になった落合は、その翌年の1982年に3冠王となった。本塁打では日本ハムのソレイタと激しい競り合いを演じたが、2本差で振り切った。28歳のシーズンでの3冠王は史上最年少だった。

○1984年:ブーマー・ウェルズ(阪急)
打率.355(.008)37本(4)130打点(29)
1983年に来日したブーマーは来日2年目に外国人で初となる3冠王となった。身長2メートル、体重100キロの巨漢だったが、パワーに加えて巧みなバットコントロールも発揮し、この年はパ・リーグMVPにも輝いた。

○1985年:ランディ・バース(阪神)
打率.350(.008)54本(14)134打点(22)
阪神が21年ぶりにリーグ優勝を果たした1985年。バース、掛布、岡田、真弓と実に4選手が30本塁打を記録して圧倒的な打力でリーグを制した。この年が来日3年目だったバースは、打線の核として驚異的な打棒をふるった。

○1985年:落合博満(ロッテ)
打率.367(.024)52本(12)146打点(24)
1982年にも3冠王となっていた落合は、王貞治に次ぐ史上2人目となる2度目の3冠王に輝いた。この年の146打点は歴代3冠王のなかでも最多。バースも3冠王となり、初めてセパ両リーグで同時に「3冠王」が誕生した。

○1986年:ランディ・バース(阪神)
打率.389(.026)47本(10)109打点(4)
前年にリーグ優勝を果たしていた阪神は3位に沈んだものの、バースの打撃はさらに凄みを増すシーズンとなった。NPB記録である打率.389をマークし、2年連続で3冠王に輝いた。

1985年、1986年は2年連続でセパ両リーグで3冠王が誕生

○1986年:落合博満(ロッテ)
打率.360(.010)50本(8)116打点(1)
NPB史上でただ1人となる3度目の3冠王に輝いた1986年の落合。1984年の3冠王ブーマー、西武の秋山幸二との競り合いを繰り広げ、打点は秋山とわずか1点差だった。2年連続でセパ両リーグで3冠王が誕生。これはNPBの歴史でもこの1度しかない。

○2004年:松中信彦(ダイエー)
打率.358(.013)44本(0)120打点(12)
1986年の落合から18年後、松中が“平成唯一の3冠王”となった。本塁打王は、日本ハムのセギノールと44本塁打で分け合った。タイトルを分け合っての3冠王は11度で唯一だった。

それでは“3冠王の中の3冠王”を以下の3条件で選んでみたい。

・各部門で2位との差が大きいこと
・3部門の数字が客観的に高いこと
・リーグの平均値より傑出していること

単純に数字だけを比較すれば、打率.350、50本塁打、130打点をすべてクリアした1985年の阪神ランディ・バースとロッテ落合博満が最高と言うことになる。しかし、1985年のリーグ打率は両リーグともに.272と高かった。また、1985年の本塁打数はセが947本、パが1050本。バースの本塁打はリーグ全体の5.7%、落合は5.1%だった。リーグ打点はセが3488点、パが3872点。バース、落合の打点は、ともにリーグ全体の3.8%だった。

これに比べると、王貞治の1973年の3冠王は打点だけが130点に届いていない。しかし、1973年のセ・リーグのリーグ打率は.237。1985年よりはるかに打低だった。この年のセ・リーグの本塁打数は679本。王の本塁打はリーグ全体の7.5%を占める。リーグ打点は2499点。王1人でリーグ全体の4.6%となる。3部門とも2位との差は大きい。これらを勘案すると「3冠王の中の3冠王」は、投高打低の時代に、飛び抜けた成績を残した1973年の王貞治と言えるのではないだろうか。(広尾晃 / Koh Hiroo)

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