凝縮されたお祭り騒ぎ、トシちゃんの「原宿キッス」と原宿ドッグ 1982年 5月8日 田原俊彦のシングル「原宿キッス」がリリースされた日

原宿といえばクレープ、そして原宿ドッグ?

先日、スーパーで夕飯の買い出しをしていると、お惣菜コーナーで懐かしいネーミングを見かけた。原宿ドッグ、なんて80sらしいネーミングなんだ!2020年の今もバリバリの現役!チーズ・インされた筒状のワッフル。「あれ美味いんだよなぁ。しばらく食べてないけど懐かしいなぁ…」と思いつつも、「これって原宿のどこで売っていただろうか?」という疑問が頭をよぎった。

原宿といえば “クレープ” である。竹下通りのど真ん中にあるマリオンクレープ。僕も原宿に初めて行った時、ここのクレープを食べた。時は1981年。これでもか!というくらいの生クリームのインパクトが僕の原宿の原体験だ。マリオンクレープはもちろん健在。今はタピオカだろうが、一昔前の原宿と言えばクレープという人は多いと思う。

しかし、原宿ドッグもクレープに引けを取らない原宿の名物だったはずだ。日本中知らぬ人はいないだろう。もしかして売っていたとしたら、代々木公園寄りのホコ天に軒を連ねていた屋台だったろうか… いや、“原宿” とつくのだから、原宿ドッグの老舗があるに違いない。あるのであればぜひ一度は食べてみたい!そんなことをぼんやり考えながら歩くスーパーからの家路。食事を終えても寝る間際になっても原宿ドッグが頭から離れないのでググってみると…

原宿ドッグって何? その発売時期と名前の由来

業務用にこれを現在も販売しているニチレイフーズによると、原宿ドッグは87年に業務用、89年に家庭用冷凍食品として発売されたと書かれている。

87年といえば、アナログレコードからCDへと移行し、おニャン子クラブが解散。BOØWYもこの年のクリスマス・イブに渋谷公会堂で解散宣言をしている。そしてバンドブームが始まろうとしていた時期だ。

僕の頭の中では、代々木公園脇のホコ天でローラー族や竹の子族が跳梁して、毎日がお祭り騒ぎのようだったアーリー80sの原宿で、原宿ドッグを片手におしゃべりに花が咲くボートハウスのトレーナーを着た女のコたち… といった妄想がどんどん膨らんでいたから、だいぶ意外であった。

そして、87年の原宿といえば、タレントショップが軒を連ね、音楽発信の最先端とは別に全国区に対応すべくショップ展開が著しかったなぁ。

まあいい。で、名前の由来について目を通してみると、発売当時、流行の最先端であった原宿のイメージと書かれている。ん…? なんか僕の頭の中の原宿ドッグの妄想がいろいろと崩れてきたぞ…。結局のところ、原宿ドッグ発祥たる老舗の店など存在しなかったのだ(涙)。また、手軽に片手で食べられるホットドックのイメージに合わせて命名したとか。

そうか!原宿のイメージを筒状のワッフルにぎゅっと凝縮したのが原宿ドッグであり、原宿に行かずともそれを食べた人それぞれの心の中に答えがあるというわけか。なんて奥が深い食べ物だろう。そんなこんなで原宿ドッグのことを考えていたら、ある曲の一節が頭をよぎった。

凝縮されたお祭り騒ぎ、トシちゃんこと田原俊彦の「原宿キッス」

 待ち伏せして お茶しないと
 まじめに迫る I Love motion
 だめなら肩 ふいに抱いて
 口唇奪う 原宿motion
 AH-どっちがいい なんでもいいから
 一度お願いしたい

そう。82年5月8日にリリースされたトシちゃんこと田原俊彦通算9枚目のシングル「原宿キッス」である。TVなどで観られた生演奏のバージョンでは、イントロでシンセドラムのスペーシーな音色が響きわたる、重厚なアレンジセンスが秀逸な超名曲だ。

改めて聴くと、「原宿ドッグって…」と同じように「原宿motion って何?」という疑問が当然のように頭に渦巻く。しかし、そんなことはどうでもいい。だって、トシちゃんは、この曲で原宿に行かずとも原宿のイメージを全国のお茶の間に振りまいていった大スターなのだから。

曲を聴いてみると分かるのだが、これはナンパの歌だ。ウィキペティアで調べてみると、「当時原宿は竹の子族が全盛で休日になると若者たちが原宿に集まり、路上で歌ったり踊ったり賑わった。「原宿キッス」は竹の子族を象徴するようにヒットした」と書かれていた。

なるほど!ここで僕の頭の中で点と点が線でつながった。そんな原宿を想起させるのが原宿ドッグであり、「原宿キッス」だということを。原宿motion が分からなくても、原宿のお祭り騒ぎの喧騒はここに凝縮されているし、たとえ、87年に販売がスタートされたとしても、原宿ドッグにも「原宿キッス」と同じ頃の原宿のイメージが凝縮されていた!…ということである。

トシちゃんが原宿なら、マッチこと近藤真彦は横浜?

当時のトシちゃんのイメージが原宿だとしたら、マッチこと近藤真彦のそれは横浜だ。マッチ主演の、たのきんスーパーヒットシリーズ第2弾「ブルージーンズ・メモリー」の舞台は横浜だし、「ヨコハマ・チーク」というマッチの名曲もある。それに「♪ Baby この世界中 Baby 涙でびしょぬれ」と歌ったデビュー曲「スニーカーぶるーす」に込められた哀愁感も、港町、夜霧にむせぶ横浜をイメージさせる。

そんなマッチの、まさにブルースともいえる哀愁、男気、センチメンタリズムに対して、トシちゃんは「恋=Do!」「キミに決定!」そして「原宿キッス」というディスコ歌謡の名曲を数々リリース。やはり、このあたりのトシちゃんの路線には、竹の子族のイメージを重ねていたのではないか… と思ったりする。

ところで、トシちゃんのデビュー曲「哀愁でいと」には “哀愁” という言葉がつき、原曲がレイフ・ギャレットの「ニューヨーク・シティ・ナイト」ということもあってか、この曲は、当時行き場をなくした不良少年、少女が集う新宿歌舞伎町のディスコを思い起こさせる。僕の中ではこの曲と尾崎豊の「ダンスホール」が新宿歌舞伎町ディスコをイメージした二大ソングだ。

ちょっぴり物悲しくてアブナイ匂いも振りまく「哀愁でいと」。ここからは僕の憶測なのだが、そんな哀愁のイメージでデビューしたトシちゃんは、マッチのデビューに際してこの “哀愁” というイメージをマッチに譲り渡したのではないだろうか。だって、イメージカラーが赤だったトシちゃんには、哀愁はちょっと違う気がするからだ。その結果マッチは、“哀愁” と横浜のイメージで数々のヒット曲を残す。一方のトシちゃんは得意のダンスも相まって、新宿発原宿経由のディスコ歌謡で、時には六本木あたりまで足を延ばしながら、長きに渡りプロのエンターテイナーとしてお茶の間を魅了していった。

そんなトシちゃんとマッチを見た当時中学生だった僕にとって、原宿と横浜は憧れの街ツートップであったことは間違いないのだ。

カタリベ: 本田隆

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