<いまを生きる 長崎コロナ禍> 留学生「学び」に苦闘 バイト先休業で収入なく 善意の野菜、コメ差し入れ

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 感染が広がる新型コロナウイルスは、県内で学ぶ外国人留学生の生活にも影を落としている。夢を追い、体一つで異国へ飛び込んだ彼、彼女たちに、頼れる人は少ない。アルバイトができず、「学び」の土台が崩れかねない若者もいる。一方で、それを支えようとする人たちがいる。

 3月下旬。五島市の福江港に若いベトナム人の男女16人が降り立った。今春開校した五島日本語学校(吉浜洋典校長)の1期生。マスクの上からのぞく目元には疲れと緊張の色が。2週間の外出を制限した寮生活が、ひっそりと始まった。
 「なぜ今来るのか」。吉浜校長には、ウイルスの持ち込みを懸念する声が届いた。島民の不安を理解する一方、学生は母国で何年もかけ、地道に事前学習を進めてきた。「将来のため努力する若者の人生を変えることはできない」。吉浜校長は、そうも思った。
 学生は出国前1カ月間の外出を自粛し、日本への移動中は防護服を着用。それでも住民の不安は根強く、吉浜校長らは地域を回り説明を重ねた。入国から2週間後。学生の体調に異変はなく最初のヤマを越えた。

不安を抱えながら寮で勉強をする留学生=佐世保市、長崎日本語学院

 しかし、影響が大きかったのがアルバイト。開校前から調整していたバイト先の一部が休業し、学生の半数近くは働く先がなくなった。留学生の多くがバイト代で生活費や学費を賄うため、勉学とバイトは切り離せないのだ。
 佐世保市の長崎日本語学院(田渕幸親校長)で学ぶベトナム人留学生、チャン・ホン・スさん(19)は、バイト先のハウステンボスが休業し収入を失った。学費用の貯金を切り崩す生活で、「不安でたまらない」日々が続く。
 ネパール出身のタパマガル・ギタさん(25)も、母国のロックダウン(都市封鎖)で親からの送金が途絶えた。在学する35人全員が学費延納届を提出。田渕校長は「留学生は将来、日本のサポーターになる。今は彼らが勉学に集中できるよう、奨学金制度などの充足を」と支援を求める。
 

学生たちが会話を楽しむ食卓には、地域住民が差し入れた野菜も並んだ=五島市坂の上1丁目、五島日本語学校

 今月1日、昼時の五島日本語学校。食堂の机には、ベトナム風に味付けされた肉や魚と一緒に、新鮮な野菜が並んだ。「余り物だけど」「食べさせてあげて」。近くの住民たちが学生を心配し持ち寄ったのだ。コメだけで100キロを超え、白菜やレタス、タマネギなども大量に届いた。
 近くに住む自治会長の神原博さん(73)は言う。
 「私たちの子も進学で島を出て、“留学”したようなもの。送り出した親の気持ちが分かるから、学生を大切にしてあげたい」
 その思いを知ってか知らずか、ラム・ニャット・ハイさん(19)は「僕たちは島の子どもみたい」と無邪気に喜ぶ。住民の厚意に感謝し、いずれ開く交流会ではベトナム料理を振る舞うつもりだという。
 「昔、『ペイ・フォワード』という映画があって-」。神原さんがふと思い出したように言った。誰かから受けた善意をまた別の人に送る営みを描いた作品。「もし五島で世話になったと感じ、学生たちの心に何かが生まれたのなら、これから出会う誰かに返してくれればいい」