経済、治安悪化…命の危機に直面しても野球が好き 南米で働く日本人トレーナーの思い

本間敬人氏(右)と現日本ハム・村田透【写真:本人提供】

ベネズエラで11年、現在ドミニカ共和国にあるフィリーズ傘下のアカデミーで働いている本間敬人氏

南米の野球大国でもあり、世界有数の治安の悪い国としても知られるベネズエラで11年間、プロ野球のトレーナーとして勤務してきた日本人がいる。現在、ドミニカ共和国にあるフィリーズ傘下のアカデミーで働いている本間敬人氏だ。チームバスが山賊の襲撃に遭い、選手が負傷するなど、身の回りで危険なことも起きる中、異国の地で毎冬たくましく生きている。本間氏はいったいどんな環境の中で仕事をしているのか、話を聞いた。

07年、ティブロネス・デ・ラ・グアイラでベネズエラでのキャリアをスタートさせた本間氏。1年目のシーズンは、衝撃的な事件で幕を開けた。ある日試合を終え、チームバスで夜通しかけて次の都市に向かっている途中、高速道路でバスが山賊に襲撃されたのだ。

「道路の脇からバスに石を投げられて、運転席の正面や横の窓ガラスが割れました。でも、そこで止まると襲われるから、運転手は窓ガラスが割れたまま、約20キロ走って明るい所で止まったんです。自分は2台目のバスだったので無事でしたが、前のバスの様子を見に行くと、選手が顔から血を流していた。ガラスの破片が目に入り、目の下を切っていたので、応急処置をして、街に着いてから病院に連れて行きました」

チーム合流からわずか1か月。ベネズエラの治安を悪さを身を以て知るには十分すぎる出来事だった。ベネズエラでは近年、こうした事件が多発しており、今ではチームバスに拳銃を持った護衛が各チーム6人ずつついている。

首都カラカスではホテルから球場に行く途中の道で死体を目撃したこともあった。「地元民はもう見慣れているので、ゴミ袋をかけられた死体を見て笑っている人もいた」。本間氏にとっては衝撃的なシーンだった。それでも、ベネズエラが嫌いになることはなかった。

「自分もラティーノたちと同じで人生を楽しむタイプ。もちろん危険な目には遭わないように気をつけてはいますが、ベネズエラに行きたくないと思ったことは一度もない。陽気で明るい彼らと一緒に、自分も楽しんでいます」

2007年に出会った日本人選手・マック鈴木氏からもらった言葉

遠征先に向かう移動日には、バスの車内では皆でビールを飲み、大音量で音楽をかけて歌う。ロッカールームでも、試合の30分前まではリラックスムードで、段ボール箱を太鼓代わりにして叩く。そんな選手たちの側で、先発投手のマッサージや故障した選手のケアをする。

本業のトレーナーだけでなく、やれることは何でもやるのが本間氏の信条。時にバットボーイや米国人選手の通訳も務める。09年からはナベガンテス・デ・マガジャネスに移籍したが、その姿勢は変わらない。遠征時にはウクレレを持参。バスの車内や空港で曲を奏で、チームを和ませる。

「優勝するチームってムードメーカーが必要じゃないですか。自分も楽しみながらやっていますが、そういうのもあって、僕を雇ってくれているのかなと感じます」

日本人選手との出会いもいい思い出だ。07年にはマック鈴木氏がチームメイトだった。

「マックさんは英語が話せたので通訳もいなかったんですが、本当にベネズエラに順応していた。外国でも、どこでも生きていける人なんだと思いました。自分の中でやるべきルーティンを持っていて、練習も自分で考えてやっていた。彼を見て、どんな環境にも順応できる人が一番強いんだなと教えられました」

マック鈴木氏からは「人生、半分以上は海外にいろよ」と言われたのが印象的だったという。

経済危機の影響で国内の治安は年々悪く…「夜は赤信号でも止まるな」

10年には元中日の岩田慎司氏が武者修行に来た。「ベネズエラでは珍しい、超スローカーブを投げていました。すごく意欲があって、野球を楽しそうにやっているが印象的でした」。12、16年には現日本ハムの村田透投手が同僚だった。「彼はずっと先発で、13、14年もベネズエラの別のチームにいたんですが、メジャー傘下の選手は球数制限があり、なかなか5回まで投げられず、勝ち星がつなかった。でも、目的意識が高く、自分からチームに溶け込もうとしていた。16年に初めて勝ち星が付いた時は喜んでいましたね」

経済危機の影響でここ10年、国内の治安は年々悪くなっている。本間氏は「11年頃からは強盗を避けるために『夜は赤信号でも止まるな』と言われるようになった」と明かす。

「空港に着いた米国人選手が誘拐され、持ち物をすべて奪われ、知らない場所で裸で放置され、FBIが捜査に乗り出したこともありました。選手の家族が身代金目的で誘拐されることも珍しくない。メジャーのチームと契約して、契約金で家を建てると目立つので、誘拐される原因になっています」

15年ごろからスーパーから物が消え、16年からはホームゲーム時も、自宅から球場まで軍隊の護衛がつくようになった。「その頃から夜は出歩かなくなり、ビジターの試合後、ホテルのバーで飲むくらいになりました」。ハイパーインフレは年々悪化し「物を買う時は大量の札束を持ち歩かないといけなくなりました」。巷では、ゴミ箱をあさって生活する人が増えた。

国民の平均月収は8ドルくらい「配給もあるが、届かないことも多く、まだまだ生活できない状況です」

18年は米国からの経済制裁の影響でチームが資金難に陥り、外国人スタッフを雇わないことになり、マガジャネスで働くことができなくなった。貸していた2ドルを隣人が返さないために殺し、空腹をしのぐためにその肉を食べる事件が起きるほど、国内の経済は落ち込んだ。

19年にはMLBが全てのメジャー傘下の選手、スタッフに同国のウインターリーグに参加することを禁じたため(この規制は同リーグ終盤に解除)、マガジャネスからオファーを受けながらも、またも働くチャンスを逃した。

「今、国民の平均月収は8ドルくらい。でも米が1キロ2ドルもする。配給もあるが、届かないことも多く、まだまだ生活できない状況です」

ここ数年は経済悪化の影響で、多くの国民は生活できなくなり、1割以上が海外に脱出した。球場で試合を観戦できるほど経済的に余裕のあるファンの数も激減しており、昨年の試合では多くの球場で空席が目立った。それでも本間氏は、野球を通じてベネズエラ国民に笑顔が戻るよう、今後もトレーナーとして同国の野球界をサポートしていきたいという思いが強い。

「国の経済や治安が1日も早く回復し、国民に野球を楽しむ余裕が出来るようになってほしいですね」。ファンの人たちがいつか球場に戻ってくる日が来ることを、本間氏は心から願っている。(福岡吉央 / Yoshiteru Fukuoka)

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