検察は「厳正公平」という幻想 民意とOB意見書の隠れた乖離 検察庁法改正問題(上)

By 佐々木央

5月15日夕、検察庁法改正案に反対し、国会前でプラカードを掲げる人

 政府の判断で検察幹部の定年延長を可能にする検察庁法改正案は、今国会での成立が見送られた。政府・与党は継続審議にする意向を示しているようだから、大きな火種がそのまま残ることになる。それでも、採決が強行されるような事態が回避されたことは、率直に良かったと思う。(47NEWS編集部、共同通信編集委員佐々木央)

 成立に突き進んでいた安倍晋三首相を翻意させたのは、多くの関係者が指摘するとおり、ツイッターの「#検察庁法改正案に抗議します」に数百万の賛同が集まったこと、元検事総長らが5月15日に出した意見書で公然と反対したことの二つが効いたのだろう。そこに黒川弘務氏の賭けマージャンに関する週刊文春の取材が入ったのだと想像する。

 政府与党が改正見送りを決めた18日には、だめ押しのように元東京地検特捜部長ら特捜OBも、森雅子法相に意見書を提出している。

 ツイッターで盛り上がった言論は巨大な民意であり、新しい政治運動となった。これに対し、検察OBの意思は、意見書という古典的な手法で示された。そして、表現形式の違いにもかかわらず、これらは検察人事に対する政治介入に反対するという点で、一見、同じベクトルを示し、響き合っていたかに見える。

 だが、本当にそうだろうか。同じ結果を求めてはいても、市民と検察OBの意思表示は、本質において全く異なる内容を含意し、異なる方向に向かっているように思うのだ。

 そのことは2通の検察OBの意見書のうち、特捜OBによる「だめ押し意見書」の方に、より鮮明だ。まず、これまでの検察組織の活動に対する評価を引用する。

 「検察官は(中略)任命に当たって検察の意見を尊重する人事慣行と任命後の法的な身分保障により、これまで長年にわたって民主的統制の下で、その独立性・政治的中立性が確保されてきました。国民や政治からのご批判に対して謙虚に耳を傾けることは当然ですが、厳正公平・不偏不党の検察権行使に対しては、これまで皆さま方からご理解とご支持をいただいてきたものと受け止めています」

 民主的統制とは何を意味するのか。その統制と独立性は背反しないのかといった大切な論点についての立場や考えは明確ではないが、疑問はいったん置く。ここでは、検察のエリート集団である特捜OBたちが「厳正公平・不偏不党」でやってきたと胸を張り、国民や政治から「理解と支持を得てきた」と自賛していることを押さえておきたい。本当にそうなのかという問いは、後で深めたい。

検察庁法改正案に反対する意見書を提出後、記者会見する松尾邦弘元検事総長。奥は清水勇男元最高検検事=15日午後、東京・霞が関の司法記者クラブ

 次いで意見書はこのたびの改正案の内容を説明し、改正によってそのような現状(厳正公平に対する国民の支持)が毀損される恐れがあると指摘する。

 「これは、民主的統制と検察の独立性・政治的中立性確保のバランスを大きく変動させかねないものであり、検察権行使に政治的な影響が及ぶことが強く懸念されます」

 さらに、1月末に東京高検検事長の定年延長が閣議決定されたことに言及する。

 「東京高検検事長の定年延長によって、幹部検察官任命に当たり、政府が検察の意向を尊重してきた人事慣行が今後どうなっていくのか、検察現場に無用な萎縮を招き、検察権行使に政治的影響が及ぶのではないか等、検察の独立性・政治的中立性に係る国民の疑念が高まっています」

 引用文だけで気づかれたと思うが、この意見書には検察の「独立性・政治的中立性」という言葉が繰り返し登場する。数えてみると7回、まるで言葉にすればそうなるという「言霊」を信じているかのようだ。だが強調すればするほど、現実は違うのかもしれないという疑念も膨らむ。

 記憶を喚起する意味で、近年、検察が捜査に着手しながら起訴に至らなかった政治絡みのケースを列挙したい。

 【事例1】2015年1月 選挙区内でうちわを配ったとして公選法違反容疑で告発された松島みどり氏を東京地検特捜部が嫌疑不十分で不起訴処分

 【事例2】15年4月 小渕優子氏に絡む政治資金規正法違反事件で東京地検特捜部が元秘書2人を在宅起訴。 小渕氏を不起訴処分。虚偽記入は総額約3億2千万円。

 【事例3】16年5月 甘利明氏のあっせん利得処罰法違反容疑問題で東京地検特捜部が甘利氏と元秘書2人を嫌疑不十分で不起訴処分。

 【事例4】18年5月 森友学園問題で虚偽公文書作成容疑などで告発された佐川宣寿氏ら38人を大阪地検特捜部が不起訴処分。

 【事例5】18年8月 下村博文氏の政治資金規正法違反容疑について東京地検特捜部が不起訴処分。学校法人「加計学園」幹部を通じてパーティー券の購入代金を受け取ったのに政治資金収支報告書に記載しなかった疑い。

 もちろん無罪推定の立場に立つべきだが、これらの事件の報道を精査すると、なぜ起訴しなかったのか、疑問なケースもある。

 例えば【事例4】の森友学園問題で、財務省は組織ぐるみの文書改ざん・隠蔽を実行した。財務省自身も認めたのに、大阪地検特捜部は改ざんが決裁文書の骨格部分ではないとして、不起訴にした。政治家や政治家夫人の関与を示す記述を消したり書き換えたりしたのだから、ことの本質そのものをゆがめる行為だったが、重い違法性を認めなかった。

 捜査が長期化する間に、財務省職員の赤木俊夫さんが自死した。夫人の証言によって、検察の捜査の影におびえ、追い込まれていたことが、明らかになっている。

 検察が起訴したのは籠池夫妻だけだった。夫妻は10カ月もの間、勾留された。こうした一連の捜査過程は適切といえるのか。検察OBの意見書が誇らしげに語る「民主的統制と独立性・政治的中立性確保」は幻ではないのか。

 事例1~5の処分はすべて、黒川弘務東京高検検事長の法務省官房長・事務次官時代になされた。

 安倍政権は法解釈の原則に反する解釈変更によって黒川氏の定年を延長した。黒川氏をさらに検察トップに据えるなら、検察の「厳正公平」を揺るがす事態が続くのではないか、あるいはもっと悪くなるのではないか。ツイッターの世論が沸騰したのは、その危惧があったからだ。決していまの検察の厳正公平に信を置いているからではない。

 そうだとすれば、このたびの市民の動きが目指すべきゴールは、検察庁法改正案の廃案にとどまらないことは明らかだろう。(この項続く)

起訴と情報を独占する検察 検察庁法改正(中)

https://this.kiji.is/636206983247709281?c=39546741839462401

情報開示しない最強組織 検察庁法改正(下)

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