「最後までしっかりやりなさい」親子で追ったインハイの夢 涙をふいて 部活で得た財産<3>

「最後まで頑張れ」と学校に向かう息子を励ます母、啓子さん=JR日宇駅

 「県代表としてインターハイへ」。西陵高男子ソフトテニス部主将の山口将平の母、啓子さんはその思いを胸に、佐世保市の自宅から諫早市まで、1時間半以上かけて通学する息子を支えてきた。親子で追った夢は消えてしまったが「よく頑張った。息子にも、先生や周りの保護者の方々にも感謝しかない」と実感を込める。
 平日は午前4時に起床。弁当とおにぎりをつくり、息子をJR早岐駅まで車で送ると、7時半には勤め先の銀行へ。朝練がない日は5時起きでJR日宇駅に向かう。週末は県内外での試合へ応援に駆けつけた。
 佐世保商高女子ソフトテニス部の選手だった31年前。県高総体の団体決勝で敗れ、チームの連覇は「8」で途絶えた。個人で出場したインターハイは8強入りしたが、団体出場を果たせなかったのは今も心残りだ。
 結婚して2児の母となり、次男の将平がソフトテニスを始めたのは日宇小3年の時。地元クラブの長島ITCで腕を磨き、日宇中でもソフトテニス部に。2年時には都道府県対抗全日本中学大会の個人シングルスで3回戦まで進んだ。
 進路は家族で迷った。そんな中、オープンスクールで練習を見学して「ここなら」と感じた強豪の西陵高から声が掛かった。長島ITCでチームメートだった吉野賢哉、福田葵も一緒に進学。現壱岐商高の山本健太前監督、古賀勇哉県スポーツ専門員の下で切磋琢磨(せっさたくま)した。
 息子は2年の夏、チームの主将を任された。幼いころは人見知り。「この子に務まるのかな」という心配をよそに、8月の県選手権島原大会を吉野とのペアで優勝した。11月の県新人大会の団体は2位だったが、悔しさを糧に練習に打ち込んでいた。その年の暮れ、食卓で息子が言った。「キャプテンをやって、周りが見えるようになった」
 年が明け、県代表選考会を勝ったハイスクールジャパンカップ、そして大目標のインターハイがなくなった。追い打ちをかけるように県高総体も中止が決定。その夜、こう言葉を掛けた。「キャプテンなんだから、最後までしっかりやりなさい」。日焼け顔の息子は、静かにうなずいた。
 集大成の場を失った息子を見ると胸が張り裂けそうになる。でも、自身を振り返ってこんなことも思う。「部活の厳しい練習を乗り越えたから、社会の荒波もつらいと感じたことはない」。いつか、この試練を懐かしく思える日が来てほしい。競技の先輩として、母として、そう願っている。


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