ディマジオ、高橋慶彦、イチロー… MLBとNPBの連続試合安打記録は?

現在はマリナーズ会長付特別補佐兼インストラクターを務めるイチロー氏【写真:Getty Images】

大リーグではヤンキースのジョー・ディマジオが1978年に44試合連続安打を記録した

「ヒッティングストリーク」は連続試合安打と訳される。プロ野球の公式戦で、安打を途切れさせることなく打ち続けた試合数のことを言う。

大リーグではヤンキースのジョー・ディマジオが「56試合連続安打」を記録している。2位が1896-1897年のウィリー・キーラーの44試合連続(45試合との説もあり)、20世紀以降に限ればピート・ローズが1978年に44試合連続安打を打ったのが最高。40試合以上の連続試合安打はこれらも含めて6例しか記録されていない。ディマジオの記録はMLB史上に残るアンタッチャブルな記録の1つだ。

この記録は1941年5月15日のシカゴ・ホワイトソックス戦から始まって、7月16日のインディアンズ戦まで77日間に渡って続いた。この間、7月8日にはオールスター戦があったが、ディマジオはこの試合でも二塁打を放っているが、これは連続試合安打には含まれない。

この間のディマジオの打撃成績は、223打数91安打16二塁打4三塁打15本塁打、打率.408だった。ディマジオの連続試合安打は、7月17日のインディアンズ戦で3打数0安打に終わったことで途切れたが、翌7月18日のインディアンズ戦からさらに16試合連続安打を記録。17日の試合で1安打でも打っていたら、記録は73試合まで伸びていたことになる。

この年はディマジオの「56試合連続安打」に加え、レッドソックスのテッド・ウィリアムスが「MLB史上最後の4割」である打率.406を記録。この記録もアンタッチャブルとなっている。記録の当たり年だった。

実はテッド・ウィリアムスは、ディマジオがヒッティングストリークを開始した5月15日から、同じように毎試合安打を打ち、6月7日まで23試合連続安打を記録している。ライバル同士が切磋琢磨したことで、記録が伸びたという一面もあるだろう。

連続試合安打の日本記録は広島・高橋慶彦が記録した33試合連続安打

NPBの記録は広島の高橋慶彦が1979年に記録した33試合連続安打が最高。6月6日の中日戦からスタートし、7月31日まで続いた。高橋はずっと「1番遊撃手」で出場した。7月31日の巨人戦、高橋は最初の打席で新浦寿夫から左前打を打ち、1971年に阪急の長池徳二が記録した32試合連続安打のNPB記録をあっさり抜いたが、その直後の2回の守備で走者と交錯して途中退場。以後、5試合を欠場。8月8日の阪神戦に出場したものの、安打は出なかった。

絶好調だっただけに、負傷がなければ高橋の記録はさらに伸びていた可能性がある。この間の打撃成績は、143打数57安打7二塁打5三塁打2本塁打13打点の打率.399。盗塁を21個も記録している。最強のリードオフマンだった。高橋慶の大活躍もあって、広島はこの年優勝している。

平成以降では、2015年、西武、秋山翔吾が31試合連続安打を記録している。6月2日の交流戦、中日戦に出場した秋山は7月12日の日本ハム戦まで、すべて「1番・中堅」で出場し、安打を打ち続けた。この間の成績は129打数59安打9二塁打1三塁打3本塁打12打点、打率.457と言う凄まじいものだった。

秋山は7月14日の楽天戦では三振、右飛、遊飛、左飛と安打が出ず、2-2の延長10回に最終打席を迎えた。この打席で安打が出なければ、大記録は途切れる。投手は青山浩二。フルカウントから145キロの速球は外角高め。明らかなボール球だったが、秋山にはファウルを打つのは容易に思えた。しかし、きっちりと見送って四球。このあと浅村も四球で出塁し、中村のサヨナラ3ランが出ている。個人記録より、チームの勝利を優先した秋山の姿勢は称賛に値する。秋山はこの年、216安打のNPB記録を打ち立てている。

NPB記録は前述のとおり、高橋慶彦の33試合連続安打だが、2軍まで含めるとオリックスの鈴木一朗が1992年6月20日のウエスタン広島戦から1993年8月7日まで、シーズンをまたいで記録した46試合連続安打が最長だ。鈴木一朗はのちのイチロー。当時の鈴木一朗は、1軍と2軍を行ったり来たりしていた。2軍の試合にはとびとびにしか出場しなかったが、その試合すべてで安打を打ったのだ。

NPB、MLB併せて4367本もの安打をたたき出した不世出の安打製造機は、10代から破天荒な記録を打ち立てていたのだ。連続試合記録は、地味だが確かな技術を持った大打者でなければ樹立できない記録だといえよう。(広尾晃 / Koh Hiroo)

© 株式会社Creative2