腕をぐるぐる回した鉄腕助っ投 シコースキーが語る日本への感謝と愛情

ロッテ、巨人、ヤクルト、西武で活躍したブライアン・シコースキー【画像:パーソル パ・リーグTV】

ロッテ、巨人、ヤクルト、西武で活躍したブライアン・シコースキー

日本プロ野球外国人選手OB会の協力のもと、パ・リーグで奮闘した外国人OB選手に話を聞く本企画。第4回は、ロッテ、巨人、ヤクルト、西武で活躍したブライアン・シコースキーさん。あの代名詞の「高速腕ぐるぐる」も披露してくれた(ブライアン、本当にありがとう!)。ぜひ「パーソル パ・リーグTV」のYouTubeでその姿を見てほしい。

――現在はどちらにお住まいで、何をされていますか?
「デトロイトで暮らしていて、現在、MLBのマイアミ・マーリンズの米国担当スカウトをしています。引退後はまずテキサス・レンジャースのスカウトとして3年働き、2019年12月にマーリンズと契約しました」

――ダルビッシュ投手がレンジャースに在籍していた2015年から2017年の間に、お会いしたことはありますか? また、ここ数年、北海道日本ハムがレンジャースと業務提携を結んでおり、コーチやスタッフを派遣しています。その方々との交流はありますか?

「はい。1度、ダルビッシュ投手にロッカーの前でお会いしました。彼が私のことをわかるか自信がなかったのですが、『ユウさん、私のことを覚えているかわかりませんが、シコースキーです』と伝えました。すると、彼は私を見て、英語で『あなたのことを覚えていますよ!』と言ってくれて、そのあと、簡単に挨拶と近頃の調子について話をしました。たしか、丁度、肘の手術(トミー・ジョン)からカムバックした頃だったかな。本当は30分くらいMLBのプレーや適応できないことなど話したかったのですが、少なくとも挨拶できて良かったです」

「他には、読売ジャイアンツ所属時のチームメートである、ダイスケ。えーっと……元木(大介)! 私のおぼつかない日本語と彼のおぼつかない英語で会話をしました。10分間の短い会話でしたが楽しかったですし、日本を去ってからというもの、日本が恋しかったのでうれしかったです」

――日本語でお話しされたのですね。

「よく家族は私のことをからかうのです。なぜなら私は日本語が上手に話せると思っているので。家庭で一言、二言、日本語を言うのですが、家族は私をみて、あなたは日本語が話せないでしょって言うのです(笑)。なので、私は『大丈夫、みんなは私が言おうとしていることは理解できるからね!』って言い返しています」

「私が日本にいた時に知り合った人と再会することはうれしいことですね。仕事柄、多くのNPBチームの外国人スカウトと出会うのですが。例えばロッテ時代のチームメートのネイト・ミンチー氏(現・巨人駐米スカウト)や、かつて対戦したルイス・ロペス氏(現・DeNA駐米スカウト)と再会したときには、日本での経験や思い出について語っていますよ」

――覚えている日本語はありますか?

「読売ジャイアンツに所属していた時に私たちは、巨大なスコアボードに掲出されている、あるフレーズを言わなければなりませんでした。そのフレーズは『僕を見てくれ』。チームメートやスタッフが周りにいるときに、大声と早口で叫ぶと皆が私を見上げ、笑ってくれるのです。それが、覚えている『良い』日本語うちの1つですね。もちろん、みんな『悪い』日本語も教えてくれました(笑)。もう1度日本語を学んで、初めて会う人を驚かせたいですね」

サブロー、福浦、黒木、小林、里崎…皆スーパースター、いい選手の集まりだった

――ロッテに2度在籍(2001~2003と2008~2009)していますがチームの変化を感じた点と、逆に変わらなかった点はどこでしたか?

「私が初めて千葉ロッテに在籍したとき、チームメートは私と同世代が多かったです。若いチームでした。私が2度目に在籍した時は、皆より良い選手になっており、優勝したいというモチベーションもあり、精神的に大人でした。1度目の時が悪いチームだったというわけではなく、より経験を積んでいたチームでした。サブロー、福浦、黒木、小林(雅英)、里崎がより成熟し、皆スーパースターとなっていました。いい選手の集まりでした。もし、今福浦やサブローと再会したら、彼らは日本語を話そうとする私をからかうでしょうね(笑)。本当にいい時を過ごしました」

「変わらないものはファンですね。言葉で表現できないほど、素晴らしかったです。いつもファンがスタジアムに来ることと彼らの応援を楽しみにしていました。たしか、私のロッテの2年目の開幕直後はあまりに酷いスタートだったと記憶しています。しかし、毎日スタジアムに入るときにファンがいつも外にいて『ファイト、ファイト』って応援してくれたのです。いつも私の心の中にありましたよ。千葉ファンは唯一無二の存在です」

――経験のある通訳の方が、新人通訳の方の靴が酷く傷んでいることを咎めているところを見かけ、靴を買ってあげたというエピソードを聞いたのですが、事実ですか?

「はい。ある新人通訳だったのですが、彼の靴は底がはがれているのを見て、彼は一体何をしているのだと思いました、なぜなら、球場のグラウンドにいる時、彼はマリーンズを代表し、私たち(外国人選手)を代表しているからです。当時、彼にその靴について尋ねたところ、『新しいのを買います』と言っていました。たしか、私たちが沖縄の石垣島からのフライトの時ですね。ショッピングに行った先で、1足の靴を購入し、彼に『はい、これを履きなさい』と伝えプレゼントしました。『おねだりする必要はないけど、君はグラウンドにいる時は外見をしっかりしなきゃいけない。なぜなら、TVにも君は映るし、何より君はマリーンズを代表しているから。ボロボロな靴はダメだよ』と伝えました」

「通訳は私たち外国人選手のために多くのことをしてくれるのです。特に、1年目で初めて来日した際にグラウンド内だけでなく、グラウンド外でも助けてくれました。私は1年目に他の外国人選手から通訳者への振る舞いを教えられたのです。ネイト・ミンチー、デリック・メイ、フランク・ボーリックから、私たち(外国人選手)は通訳を大事にしなければならないと。そして彼らが、私自身がすべき振る舞いを示してくれました。その背景には、国、家族、そして特に組織を代表してプレーしているという自負がありました。また、マリーンズは私と家族を2度も受け入れてくれています。それらの振る舞いはかつての外国人選手から脈々と受け継がれてきたのです」

――とても良い話ですね。シコースキーさんの言葉はプロフェショナリズムを示していると思います。選手としてのプロフェッショナルとは? についてさらにもう少し掘り下げていただけませんか?

「来日して、最初の3か月間は異なる文化、生活への適応が難しかったです。しかし、私は自身に言い聞かせていました。ここ日本はきっと良い場所だと。人々は礼儀正しいですし、私は何度も何度も迷子になったのですが、その時は周りの人に近づき、携帯電話を渡し、道順を教えてくれと尋ねていました。いつもみんな礼儀正しく助けてくれました。ですので、私自身が私の国、家族を代表しているという気概をもち、皆をリスペクトしていました」

「野球選手としてのプロフェッショナルリズムですが、ファンは選手をTVやコストコで見かけますよね。ですので、皆に対してリスペクトの気持ちをもって接していました。なぜなら、私たちは広い意味で世界・時をともに共有しているからです。皆が幸せであれば、全て良しですよね」

独特の腕を振る動き…「私の息子もやっている」

――ミネソタ・ツインズに在籍している前田健太投手が、ピッチングの前に特徴のある準備体操をします。ご存知ですか?

「いえ、知らないです」

――私はその動きを見てシコースキーさんを思い出しました。ぜひシコースキーさんの登板前に腕を回すあの準備運動をこの場でやっていただけないでしょうか?

「もちろん! 実は、私の息子が20歳で現在ウエスタンミシガン大学(シコースキーさんの母校)で野球をしています。面白いのが、彼もキャッチボールをする前に、私の動きをし、ピッチングに向かうのです。そこで、いつも彼に言うのです。君は間違っていると。だってまずは後ろ回しを先にやって、そのあとに前回しにしているから。できるかわからないね。だいぶ、歳をとってきたので(笑)」

――ワーオ! ありがとうございます! 通算438登板は外国人投手として歴代2位の記録です。なぜ、それほどの登板数を重ねることができたのでしょうか?

「グラウンドにいることが好きだったからでしょうね。先発投手の時は休養が十分で、1度投げると約1週間、次の登板まで空きます。リリーフ投手になって良かったです。週に3、4試合、時には5試合投げることもありました。そんな時は、バッティング練習の時の投球を回避していました。また、それほどブルペン投球しなくても準備が可能でした。投球間隔が短いときは休息をとり、25球投げるところを10球に減らすなど調整していました。試合で投げる数をあらかじめ確保するということです」

「私の目標は500試合登板でした。残念ながら膝の故障で目標を達成できませんでしたが、なぜか、私は500試合登板というのにこだわっていました。もう少しで達成できそうでしたが(MLB40試合、NPB438試合)、私は全力を尽くしたと思います」

「お元気で、安全で、気を付けて! がんばって!」(日本語で)

インタビュー・高木隆 文・海老原悠(「パ・リーグ インサイト」海老原悠)

(記事提供:パ・リーグ インサイト)

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