1977年以降「故意に」DHを使わなかったケースは1度だけ

アメリカン・リーグが1973年に指名打者(DH)制を導入して以降、ア・リーグの球場で行われる試合で投手が打席に立つ機会はほとんどなくなった。今年、エンゼルスのジョー・マドン監督は大谷翔平が先発する試合でDHを使わないことを検討しているようだが、1977年以降の42年間で「故意に」DHを使わなかったケースは1度だけある。2016年6月30日のアスレチックス戦でジャイアンツはDHを使わず、先発のマディソン・バムガーナーを9番打者として起用した。

DH制の導入後、DHを使わずに投手がスタメン出場したケースは、1976年にホワイトソックスがケン・ブレット(殿堂入り三塁手ジョージ・ブレットの兄)が先発する試合で2度、DHを使わなかったのが最後だった。ブレットはパイレーツ時代の1973年に打率.250、4本塁打、16打点、1974年に打率.310、2本塁打、15打点を記録するなど「強打の投手」として知られ、1976年は2度のスタメン出場のほか、代打で6度起用されている。

ジャイアンツのブルース・ボウチー監督は、バムガーナーが2014~15年の2年間で打率.252、9本塁打、24打点を記録し、2016年も6月30日の時点ですでに2本塁打を放っていたことを踏まえ、敵地でのアスレチックス戦でDHを使わず、バムガーナーを打席に立たせることを選択。バムガーナーは3回表の第1打席で二塁打を放って起用に応え、7回途中4失点の力投で勝利投手となった。

1988年には、ヤンキースが投手のリック・ローデンを登板日以外にDHとして起用した例がある。ローデンはドジャース時代に4本塁打、パイレーツ時代に5本塁打を放ち、1984年から3年連続でシルバースラッガー賞を受賞。その打撃力を生かすべく、1988年6月11日のオリオールズ戦で「7番・DH」としてスタメンに名を連ねた。

なお、バムガーナーのケースで「故意に」と但し書きが付いているのには理由がある。1999年7月22日、インディアンスのマイク・ハーグローブ監督は「4番・DH」にマニー・ラミレス、「7番・ライト」にアレックス・ラミレス(現DeNA監督)を起用したが、マニーのほうのラミレスがライトの守備に就き、ブルージェイズの1番打者シャノン・スチュワートが放った飛球を捕球してしまった。審判団の協議の結果、インディアンスは試合開始前の時点でDHを解除し、マニーのほうのラミレスが「4番・ライト」、先発投手のチャールズ・ナギーが7番打者として出場することになったのだった。

また、2009年5月17日には、レイズのマドン監督が「3番・DH」で起用するはずだったエバン・ロンゴリアを三塁手と書いて提出してしまい、5番打者のベン・ゾブリストと合わせて三塁手が2人という事態に。1回表の三塁の守備にはゾブリストが就き、対戦相手のインディアンスが1回表終了後に審判団へクレームを入れたため、正式な三塁手はゾブリストとなり、レイズはロンゴリアに代わって先発投手のアンディ・ソナンスタインが3番を打つことになってしまったのだった。

このように、意図せずDHを解除して投手が試合の最初から打席に立ったケースはあるが、監督が「故意に」投手を打席に立たせたのは、1977年以降ではバムガーナーのケースが唯一である。2020年シーズン、投手・大谷が打席に立つ機会は巡ってくるだろうか。

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