思わぬ“再会”

 そんなに困ってるんだったら、うちにおいでよ。長崎の原爆を描こうと取材旅行中の若者に被爆詩人の福田須磨子がそんなふうに声を掛けたのは1962年のこと▲お言葉に甘えて、とバラック小屋に転がり込んだ画家志望の彼に福田はさまざまな話を聞かせた。原爆投下の前のこと、「あの日」のこと、その後の暮らし、健康への不安▲顔や腕を熱線に焼かれた彼女の手のひらは「少女のような桜色」をしていた…その衝撃をモチーフにした「須磨子の乙女のごとき手」など20点の連作絵画「祈り-ナガサキ」を手掛けた画家、こんどう冬爾さんを静岡のアトリエに訪ねたのは2005年の年明けだった▲あなたに何が描けるのか、という被爆者たちの問いに答えが見つからず、40年近くも絵筆を握れなかったこと、20世紀が終わりに近づき、それでも-と思い直したこと。駆け足の取材に静かな口調で話してくれた▲こんどうさんは「祈り-」の後、広島に題材を求めた連作も完成させた。「それですっかりくたびれてしまって、今は仏像の絵を描いてますよ」。現在81歳。数日前、会社にひょっこり画集が届き、お礼の電話で15年ぶりに話ができた▲近況の報告など思いつきもしなかった不義理に恥じ入りながら、画集を繰り返し眺めている。あすは原爆の日。(智)

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