きょう被爆75年

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 ちょうど50年前に出版された、古い本が手元にある。「日本原爆詩集」(太平出版社)という。その中に長崎の詩人、風木雲太郎(かざきくもたろう)さんの「私の故郷は長崎です」という一編がある。〈人間の姿を失って/人間の影に生きる/ふる里の深い傷を/好奇の眼で見物しないで下さい〉▲被爆10年の頃に書かれた。当時、被爆地に向けられるのは「好奇の眼」、つまり差別や偏見だったのだろう。十年一日のごとく、変わらない苦しみをつづっている▲本には長崎の詩がほかにもある。被爆17年の頃の一編は〈おれたちはいくつ屍(しかばね)を見送ったことか〉と嘆いている。被爆による病だろう、友人らは次々と世を去る。〈胸に怒りを秘め 嗚咽(おえつ)を抑え/おれたちは友の柩(ひつぎ)を送る〉(松本裕利さん「泥濘(でいねい)」)▲筆舌に尽くしがたい思いを、それでも筆に込めた詩集は、被爆から四半世紀の節目に出された。時は流れ、四半世紀の実に3倍、あの日から75年の「長崎原爆の日」が巡ってきた▲続けられるべき営みがいくつかある。あの日、何があったのか深く知ること。被爆者のたどった長い道のりを思うこと。この先、何ができるのかを考えること▲風木さんの詩はこう結ばれる。〈人間が人間らしい幸福を営(いとな)む/平和を/ふる里はほんとうにほしいのです〉。昔も今も望みは変わらない。(徹)