「公共的に保存すべきだった」 江崎べっ甲店の建物解説 長崎史談会が公開講座

江崎べっ甲店の建物について解説する村田氏=長崎市桜町、県勤労福祉会館

 長崎史談会(原田博二会長)の本年度第4回長崎学公開講座が22日、長崎市内であった。同会会員で長崎総合科学大名誉教授の村田明久氏は、6月の閉店後解体が進められている同市の江崎べっ甲店の建物について解説し、「長崎の歴史と深い関係がある貴重な建物」などと述べた。
 店舗や作業所などがあった建物は黒しっくいの和洋折衷様式で、1998年には国登録有形文化財に指定。市民にもなじみ深い建物だった。
 村田氏は以前実施した調査を基に、建物の構造や変遷を紹介。1898(明治31)年、5代目栄造氏の時代にそれまでの純和風の建築に洋風建築が加えられ、和洋折衷の建物になったことを説明した。それ以前は伝統的な純和風の大型長崎町家だったという。
 村田氏はそのころに長崎では居留地の撤廃があったとして、「外国人は市内どこでも暮らせるようになり、まちの雰囲気が相当変わっただろう」と指摘。ロシアとの商売に積極的に取り組んだ栄造氏が「国際関係を熟知して建物にも取り入れようと踏み切ったと察する」と述べた。
 結びとして、「べっ甲細工により国際交流が進められ、まちなかの建築の造り方や展示方法に影響をもたらした。こうした長崎独自の文化度が高い建物は公共的に保存すべきだった」と語った。
 同会の大田由紀理事は「東濵町神事記録簿にみる近代の踊町運営」をテーマに講話。長崎くんちの踊町・東濵町の1896~1932年の記録を基に、費用負担など踊町運営の実態を紹介した。

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