非日常の中、できることを 雲仙・噴火災害の語り継ぐ

校庭にあったイチョウの木の再生が歌詞に盛り込まれている「生きていたんだね」を歌う児童ら=南島原市立大野木場小

 1991年9月15日の雲仙・普賢岳噴火の大火砕流で校舎が焼失した南島原市深江町の市立大野木場小(本村日登生校長、112人)で15日、災害の教訓を語り継ぐ集会「メモリアルデー」があり、児童らが当時の様子や被災者の苦労などを学んだ。
 大火砕流で旧校舎は鉄筋など骨組みを残し焼失。現在は災害遺構として保存されている。集会は98年から保護者や住民を招き開催。29年目の今年は新型コロナウイルス感染症を受け、規模を縮小し学校関係者のみで実施した。
 雲仙岳災害記念館職員で当時小学3年生だった長門亜矢さん(37)が「噴火災害を体験して」と題して講話した。被災状況や約2年間にわたる避難生活を紹介し「家族や先生ら多くの方々の支えで、不自由な生活の中に喜びを見つけられた。現在もコロナ禍で非日常が続いているが、できないことを考えるのではなく、その時にできることを考えて」と呼び掛けた。
 児童代表で6年の廣瀬美空さん(11)は「災害当時祖父は地元の消防団員で、バケツ一杯の水もなく学校や家が焼けるのを悔しい思いで見ていた、と聞いた。過去の噴火災害から防災を学び、未来へつなげたい」と決意の言葉を述べた。
 最後に、火砕流で焼けながらも再生した校庭のイチョウのたくましさを表現した第二校歌「生きていたんだね」を児童全員で合唱した。

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