球磨川沿いには球磨焼酎があるんだけどなぁ【50代から始めた鉄道趣味】400

※2014年12月撮影

400回記念に何を寝言言っているんだ? (笑)

トップ画像は、肥薩線川線。球磨川沿いの前面展望。個人的に大好きなんです。そして球磨焼酎も好物なんです・・・。六調子!

川沿いの小さな駅。吉尾駅です。八代までは26.7km。集落は駅の手前で球磨川に注ぎ込んだ支流の吉尾川の少し上流にあります。吉尾温泉も涌いているので旅館も数軒並んでいます。

※2014年12月撮影

駅名標。1952年(昭和27年)開業。河童のアイコンが良いですね。対岸に国道219号線が走っていますが、白石駅まで戻るか、次の海路駅から3km下流の瀬戸石ダムまで対岸に渡る橋がありません。

※2014年12月撮影

球磨川対岸の国道219号線。

※2014年12月撮影

平谷川を渡って海路駅。

※2014年12月撮影

駅名標。アイコンは描かれていません。山の中で海路とは不思議ですが、駅所在地は熊本県葦北郡芦北町大字海路。白石駅から海路駅までの肥薩線が町の東側境界線ですが、メインは八代海に面する芦北町も人口減少が目立ちます。1950年(昭和25年)の37,724人が、2015年(平成27年)には17,661人と約47%、半分以下に減っています。(国勢調査)西側には、肥薩おれんじ鉄道の上田浦駅 – たのうら御立岬公園駅 – 肥後田浦駅 – 海浦駅 – 佐敷駅 – 湯浦駅がある大きな町です。

※2014年12月撮影

大きな駅だな〜。

※2014年12月撮影

瀬戸石駅です。日本三大急流球磨川による水害で何度も駅舎が流されています。1910年(明治43年)開業以来の駅舎は、1965年(昭和40年)の集中豪雨で、再建された駅舎も1982年(昭和57年)の集中豪雨による球磨川の増水で倒壊。1986年(昭和61年)駅は無人化。翌年JR九州に移管後、臨時のプレハブ駅舎は撤去されました。ホーム上の待合室は開業当時からのもの、100年モノです。

※2014年12月撮影

瀬戸石ダムを過ぎた球磨川の流れ。ちなみに日本三大急流、あと二つは最上川と富士川。

※2014年12月撮影

1908年(明治41年)に完成した球磨川第一橋梁。クーパー、シュナイダーが設計し、アメリカンブリッジ社が製作。ピン結合方式のトラス橋で、トランケート(切り詰め)式と呼ばれ、斜角がついて斜めに川を渡っています。「球磨川第二橋梁」とともに全国に二つしかの残ってないと言われています。

※2020年7月の豪雨で球磨川第一と第二橋梁は流失してしまいました。

※2014年12月撮影

肥薩線は右岸を走ります。

※2014年12月撮影

肥薩線で木造駅舎の残る駅ではこれが最後、坂本駅です。列車交換します。

※2014年12月撮影

1908年(明治41年)開業。1952年(昭和27年)十條製紙(後の西日本製紙)坂本工場との間に1055mの専用線が敷かれました。昭和30年代には、製紙工場従業員が坂本駅を毎日3千人乗降したそうです。しかし1980年代に工場は閉鎖、専用線も廃止。最近の乗降客数は50人程度の様です。

※2014年12月撮影

何と言っても筆者は古い木造駅舎が大好き。列車を降りて駅舎でノンビリしたいという衝動との闘いです。降りてしまうと次の普通八代行は3時間後なのです。

※2014年12月撮影

製紙工場跡は、現在「くま川ワイワイパーク」という家族連れに愛される公園になっています。

また旧坂本村には、日本棚田百選の日光(にちこう)の棚田があります。

でも残念ですが、肥薩線で訪れる人は限定されるみたいです。

※筆者は既にコラムなどで青春18きっぷ鉄道旅の写真を度々使用しています。重複していますが、御容赦ください。

※価格などは2014年当時のものです。

(写真・文/住田至朗)

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