※2020年8月撮影
トップ画像は、JR西日本山陽本線吉永駅。
さて木造駅舎に行く前に古レールで組み上げられた跨線橋を記録しておきます。
※2020年8月撮影
島式ホームの上屋も木造です。流石にこの華奢な構造では瓦屋根は支えられませんね。
※2020年8月撮影
駅舎の改札口。簡易自動改札が設置されています。
※2020年8月撮影
無人駅ですが窓口は塞がれておらず、そのまま残されています。きっぷの自販機にはICカードチャージの機能も付いています。壁面上部がビニールシートで覆われているのはなぜでしょうか。時計が窓口の中にあるので壁面を塗装するのかな。
※2020年8月撮影
待合室側もビニールシートで覆われています。何も装飾がないのも新鮮ですが。
※2020年8月撮影
駅舎出入口。正面は、県道404号線につながる道路です。時刻は14時15分。吉永駅到着から15分経過しました。次の山陽本線下り三原行は14:55。40分もありますね。
※2020年8月撮影
駅舎出入口のアップ。美しい屋根瓦にややミスマッチな平入り側出入口になっています。
※2020年8月撮影
建物資産標があります。大正15年4月。大正15年は12月25日で終わり、6日間の短い昭和元年になります。1926年です。
※2020年8月撮影
余談です。2020年7月号で94年の歴史に幕を降ろした現存する最古の写真雑誌「アサヒカメラ」の創刊が建物資産標と同じ1926年(大正15年)4月でした。
1990年代半ばに登場したデジタルカメラは、2000年代に入ると高画素数化や小型化競争が激化。携帯電話の付属カメラの高画質化も進行し、わずか10年ほどでフィルムを使用するいわゆる銀塩カメラはすっかり衰退してしまいました。もちろん好事家や本当にフィルムでなければ撮れない写真のために絶滅は免れています。
筆者も学生時代は、モノクロ(主にコダックのトライX、富士フイルムのネオパンSSS)の長巻き400フィートを自分でパトローネに詰め、1977年に発売されたNIKON FMで撮りまくって、もちろん自分で現像・紙焼きをしていました。
何とこの時の初代NIKON FM、弱点の縱走り機械式シャッターが何故か無事に稼働して現在も使用可能な状態です。二十年以上使っていませんが。
ようやく駅舎外観。まずは西側から。植木で肝心の切妻部分が見えません。
※2020年8月撮影
ほぼ同じ角度でカメラ位置をバック。
※2020年8月撮影
東側から。特徴的な切妻屋根端部の小さな寄棟(半切妻屋根)がダブルで実に素晴らしい。溜め息モノです。
※2020年8月撮影
微妙に角度がずれていますが引き画です。ネットで古い写真を見ると1990年代の屋根瓦は青色だったようです。
※2020年8月撮影
撮影は終了しましたが、次の撮影駅に向かう山陽本線下り列車は14:55。ホームで待っているとまた貨物列車です。山陽本線では貨物列車の多さに驚きました。
※2020年8月撮影
ちなみに、EF66 113はJR貨物になってから作られた100番台の最終機。基本番台とは顔付きが全く違ってモダナイズされていますね。
【木造駅舎巡礼02】山陽本線09 に続きます。
(写真・文章/住田至朗)