眉山の治山事業 もろい地質、市民に脅威 ダムや導流堤を整備

崩れた土砂がたまっている5渓上流部の治山ダム=島原市、眉山

 雲仙・普賢岳噴火災害では、火砕流の盾となり島原市街を守った眉山。その一方、1792(寛政4)年の地震では山体の6分の1が崩壊し、土砂崩れや津波で大きな被害を出した「島原大変肥後迷惑」を引き起こしたことで知られる。犠牲者数は1万5千人に達し、国内最大の火山災害といわれる。それから230年近く経過した今も、大雨などによる崖崩れや表面剥離の拡大が進み、市民は脅威を感じ続けている。1990(平成2)年の普賢岳噴火から30年。100年以上にわたり治山事業が続く現状を取材した。

 9月下旬。長崎森林管理署眉山治山事業所の渕上翔吾治山技術官(31)に同行し、眉山に入った。落石を避けながら、うっそうとした山道を車で進む。中腹から山頂を見上げると、スコップでえぐり取ったように切り立った崖や白くむき出しになった岩肌がのぞく。治山ダム上流側には大量の土砂が堆積している。渕上技術官は「市街地が崩壊斜面と近く、土石流も過去に発生している。治山施設の整備は重要」と強調した。
 眉山は雲仙火山群の一番東側に位置。北側の七面山(819メートル)と南側の天狗山(695メートル)を有する釣り鐘状の火山で、この2峰の総称をいう。火成岩や砂れき地質で崩れやすい性質を持つため、治山が困難な「日本三大難山」の一つにも数えられている。
 九州大地震火山観測研究センター(島原市)の松島健准教授(60)によると、眉山は約5千年前の雲仙岳の火山活動で誕生。当時平野だった場所に出現した火口から出た溶岩が、固まることで大きく盛り上がったといい、「軟らかい地盤に不安定な山が載った状態。崩れるきっかけは大雨や地震だが、直後に起こるわけでもない。予測や予知は難しい」と指摘する。
 1916(大正5)年に国が眉山直轄治山事業所を設置して以来、国有林内の渓流には治山ダムや導流堤などの治山施設が整備され、崩壊による被害を最小限にとどめる工事が今も続く。国に加え、市街地直上の民有林では県が砂防ダムを整備、維持している。鮎川など各河川上流部に四つの砂防ダムを設置した県は、「人命と財産を守るための整備。土砂がたまれば除去などの対策も新たに検討する必要がある」と話す。

上空から撮影した眉山(長崎森林管理署提供)

 大小の崩壊を繰り返す眉山には、山頂付近から裾野にかけて治山ダムが階段状に並ぶ。同管理署によると、国は1991~2017年度までの27年間、事業費約100億円をかけて、各渓流(0~7渓)に治山ダム計95基、導流堤計53基などを整備している。これらの巨大なコンクリートの壁が、山から流出する土砂を調整。一度に大量に流れ出るのを防ぎ、流下をコントロールして土砂の氾濫を防いでいる。
 治山ダムのうち、最も大きいのは大手川上流にある6渓の2号治山ダム。1996年度に完成し堤の長さ約580メートル、高さ約10メートル。2020年度は、同ダムにこれまで堆積した土砂約1万5千立方メートルの排土工事などを実施している。  表面が剥離し山肌が露出したままの東側は、崩れた断面が急峻(きゅうしゅん)で、木々が根付かず土砂の崩壊が続く。そのため同管理署はこの27年間、ヘリコプターを用い、上空から種などを散布する航空実播工で計24ヘクタールの緑化に取り組んだ。このほか、降雨量や長期的な山の変動、土石流の発生などを感知する各種観測機器を使い、24時間態勢で監視。県と市にデータを提供している。
 市市民安全課によると、1991年以前、市は眉山崩壊に対する危機管理に重きを置いていたが、大火砕流惨事の発生以降、対策の中心は噴火で形成された溶岩ドーム(平成新山)に移行。「だからといって眉山が安全になったかというと、そんなことはない」と注意を促す。
 「眉山はずっと崩れているし、熊本地震の後には新たな岩肌も見えていた。次に地震が来たら崩れるのでは」。島原市高島2丁目の飲食店経営、山口崇さん(35)はこう話す。市民にとっての不安は「島原大変」の再現。火山活動を引き金とする大規模崩壊だ。
 松島准教授によると、平成噴火以降、普賢岳の火山活動は静穏期で、眉山自体の火山活動もみられない。ただ島原半島直下には、地震を引き起こす可能性がある断層群が潜む。松島准教授は、「直下型地震に起因する眉山の崩壊を想定したシミュレーションは行われていない。小規模な崩壊には林野庁の治山事業で対応しているが、平成新山同様、大規模崩壊の可能性がないとはいえず、非常に不安定な山に変わりない」と警笛を鳴らした。


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