ローザ・ルクセンブルグを呼ぼう!ロックの極楽浄土と襲いかかる現実… 1986年 2月21日 ローザ・ルクセンブルグのデビューアルバム「ぷりぷり」がリリースされた日

予算は20万、学園祭のライブアーティストを探せ!

秋が来れば思い出す…… のは、学園祭(以下、学祭)。明るい青春時代を送ったとはいえない筆者でも、それはまあ、甘かったり、苦かったりの思い出とともに蘇ってくる。同時にそれは大人の世界を知る入り口でもあった。というわけで、1986年の思い出話を。

大学入学で上京して半年、所属していた音楽サークルが学祭でライブを企画することになった。やるからにはプロを呼びたい。しかし想定予算は20万円。おそらくは諸経費もかかる。まずは、20万円のギャラでやってくれるアーティストを探さないといけない。それって、可能なのだろうか?

呼んだバンドは、巡り巡ってローザ・ルクセンブルグ

ライブをやって欲しいアーティストはたくさんいた。しかし、ギャラを知る度に、それが途方もない夢であったことがわかってくる。当時上り調子だったO崎Yタカさんはケタが1個違った。Sトリート・Sライダーズも、このギャラでは全然足りない。20万円でプロに演奏してもらうという発想が、いかに甘かったか… 現実は厳しい。

それでも、2つ上の先輩たちは諦めず、奔走していた。あとから聞いたのだが、いろいろなツテやコネを駆使して、交渉してくれたらしい。“とりあえず、なんとかなりそう” と言われて、ライブをやってもらうことになったのが、ローザ・ルクセンブルグだった。

1986年2月にリリースされたローザ・ルクセンブルグのメジャーデビューアルバム『ぷりぷり』は、発売されたその日に買ったが、これはもう最高のアルバム。前年にNHKで放映された『ヤング・ミュージック・フェスティバル全国大会』でこのバンドを見て以来、気になっていたのだがアバンギャルドというか、パンクというか、それでいてポップで、一発で好きになった。ライブの前にはセカンドアルバムを出すというし、個人的には大賛成。とにかく、生でライブを見たかった。

チケットは手売りで200枚… それでも最高のライブパフォーマンス!

というわけで、ライブをやってもらうことになったのはよいが、チケットはすべてサークル内の手売り。講堂の500席弱分を売り切れば赤字にはならないのだが、手売りでは売り切れない。自分もクラスの友人何人から買ってもらったが、微々たるもの。熱狂的なファンは学校まで買いに来てくれるが、それでもトータルで200枚前後の売り上げだったと記憶している。

売り上げはともかく、ライブは最高としか言いようがなかった。警備の名目でステージと客席の間にいたけれど、ポカーンと口を開けてずっとステージを見ていた。どう説明していいのか、貧困なボキャブラリーゆえに悩むのだが、ロックの極楽浄土というか、竜宮城というか、ともかくそんなハッピーなライブだった。チケットが半分も売れていない状態だし、ローザの方々には申し訳なかったが、それでも手抜きナシのパフォーマンスに見惚れてしまった。

赤字の反省をどう活かす? 翌年に企画したシオンのライブでもまた…

しかし、竜宮城から帰ると現実は嫌でも襲いかかる。赤字分はサークルの負担。というわけで、1年生は5,000円ほど払わないといけなくなった。日雇いのバイトをすれば払える額だし、いいライブを観たし、「ダイジョブっすー」。しかし、センパイたちは当然のように、より多くの額を払っていたわけで、どれだけ負担したかは言ってくれなかったけれど、今もあのときのことを想像すると、ちょっと胸が痛む。改めてライブをひとつ企画することの大変さを思い知ったし、目上の人間の責任というものを痛感した。

この赤字の反省を活かして、翌年の学祭につなげようとしたのだが、1987年に企画したシオンのライブは、またも赤字。さすがに、もうチケットの手売りだけではイカンと反省してチケットぴあに販売を委託。その翌年のアンジーのライブで、初めてトントンになった。ホント、大学時代の学祭体験では、いろいろと社会勉強させてもらった。それが今も生きている… と思いたいのだが、どうだろ?

… で、ここまで自分の記憶のみで書いてきたのだが、アーティストのギャラや経費、赤字分の補填など、正確な数字に関しては正しいかどうかは正直、自信がない。同期のリマインダー主宰・太田さんとカタリベの親王塚リカさん、間違っていたら指摘してくださいよ。

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