菊畑茂久馬の「道」たどる 長崎県美術館で追悼展 「沈黙の時代」の作品並ぶ

菊畑作「鳥の雛形」(版画集「オブジェデッサン」より)1979年 県美術館所蔵

 5月に85歳で死去した長崎市出身の画家菊畑茂久馬の絵画制作の道のりをたどる追悼展が、同市出島町の長崎県美術館常設展示室第1、2室で開かれている。菊畑は「反芸術」を掲げる若き前衛美術の旗手として注目されたが、途中の約20年間、美術界から距離を置き、自らの絵画表現を問い続けた。その期間に制作されたオブジェや版画、代表作など50点を並べている。

 1935年、同市丸尾町生まれ。幼少期を同市内や上五島で過ごし、9歳で福岡市に移った。独学で絵を学び、50年代後半に前衛美術家集団「九州派」に参加。美術用素材ではなく、布や5円玉、れんがなど身の回りの物を使った作品を出品、頭角を現した。
 だが、既存の芸術の枠組みを否定し、新しい表現や様式を生み出そうとする「反芸術」が、ただ単に何でも自由にやればいいというような流れになっていると感じた菊畑は、60年代半ばから主要な美術展に出品しなくなり、中央の美術界と距離を置いた。再び作品発表を始める83年までの約20年間は、「沈黙の時代」とも呼ばれる。
 この間、太平洋戦争記録画や幕末の日本近代美術の黎明(れいめい)期の論考、炭坑画家山本作兵衛の作品を「幻想絵画」として世に出す仕事などに当たりながら、自立した個としての絵画表現を追い続けた。発表を前提とせずにオブジェや版画などの制作に精力的に取り組んだ。創作を止めないことが目的の一つだったという。
 県美術館の野中明学芸専門監によると、オブジェは68~76年に集中し、200点ほどを制作。オブジェを撮影した写真を基にしたシルクスクリーンの版画も制作するなどしながら絵画制作を探求していたらしい。
 83年に大型油彩画連作「天動説」8点を発表し美術界に本格復帰。最終的には計16点に及ぶ。その後も「月光」「舟歌」「天河」など大型シリーズを次々と発表し、存在感を示した。
 追悼展は「沈黙の時代」のオブジェ3点や版画集「天動説 其の一」(19点)、同「オブジェデッサン」(20点)、ドローイング作品と、200号の同連作「天動説十四」(1985年・87年改作)、連作「春風」(4点)などを展示。「天動説十四」は、グレーの油彩絵の具を塗ったキャンバスの上部に棒を2本縫い込み、布をかぶせ、さらに絵の具を塗り重ねている。重厚な彩色面には凹凸ができていて、穏やかな海のようにも見える。
 野中さんは「天動説から原初的な絵画の発生劇を見ることができる。菊畑は自身と絵画を対峙(たいじ)させていた。絵画制作に至るまで決して平たんでなかったストーリーを作品を通して知ってほしい」と話す。11月23日まで。一般420円。同館(電095.833.2110)。

菊畑が試行錯誤しながら完成させた「天動説十四」=長崎市、県美術館
菊畑作「ベトナムの空No.1」 1968―80年代前半 県美術館所蔵

© 株式会社長崎新聞社