所沢駅 とにかく大きいです【駅ぶら04】西武池袋線044

※2020年8月撮影

トップ画像は、所沢駅に到着する西武池袋線上り急行池袋行。大好きなスマイルトレインです。

下りホームに行って駅名標を撮りました。駅名標の前に柱があったのでちょっと斜めからです。

※2020年8月撮影

所沢駅は、1895年(明治28年)川越鉄道によって開業。川越鉄道については西武新宿線の歴史を書くときに登場しますのでここではあえて触れません。1915年(大正4年)武蔵野鉄道開業。1960年(昭和35年)池袋線秋津駅~所沢駅間複線化。1963年(昭和38年)池袋駅~所沢駅間で10両編成運転開始。1983年(昭和58年)東口開設。1991年(平成3年)東口改札口移設、東西自由通路使用開始。2000年(平成12年)西武口と東口改札が統合され現行の南口が開設されました。2010年(平成22年)新駅舎改築工事がスタートします。

実は筆者はこの【駅ぶら】で初めて所沢駅でちゃんと下車して改札口を出ました。上記の駅舎改築工事の進捗を書いていても、どこか絵空事の様でリアリティが感じられ無いのです。申し訳ありませんが大幅にカットさせていただきます。

2020年8月4日に所沢駅を訪問しました。新しい駅舎・駅の姿をご一緒にご覧ください。

ホームからエスカレーターで橋上駅舎に上がります。西武ライオンズのユニフォームが並んでいます。

※2020年8月撮影

コンコースに歴代のライオンズユニフォームが飾られていました。

※2020年8月撮影

筆者は、あまり熱心なプロ野球ファンではありませんが、左の青いユニフォームには懐かしさを覚えます。森監督時代、清原、石毛、ピッチャーの工藤(現・福岡ソフトバンクホークス監督)などの名選手がこのユニフォームでテレビのニュースを賑わせていたことを思い出します。いわゆる西武黄金時代でしょうか。

※2020年8月撮影

コンコースにはこの様なものも置かれていました。試合速報、手書きというのがアナログで良いですね。かつて大阪に住んでいた頃、阪神梅田駅にも手書きの速報があったなぁ。(30年以上前です・笑)

※2020年8月撮影

中央改札口を出ます。

※2020年8月撮影

すごい数の自動改札機が並んでいます。筆者は初めて改札を出ました。

※2020年8月撮影

東口に向かいました。「Grand Emio所沢」に「レオ神社」がありました。すごいなぁ。

※2020年8月撮影

東口に出ました。すごく大きな木々があります。右側のビルは西武鉄道本社ですね。

※2020年8月撮影

所沢駅東口と「Grand Emio所沢」。

※2020年8月撮影

全体を写そうとロータリーの反対側に行きましたが、大き過ぎます。画角には収まりません。(笑)

※2020年8月撮影

ウロウロして所沢駅東口中央通りのくすのき台交差点に出てきました。所沢駅が見えます。

※2020年8月撮影

駅の方に戻ると「保健所 発祥之地」の石碑がありました。

※2020年8月撮影

所沢市立図書館のサイトに以下の記述がありました。

所沢駅東口のロータリーに「保健所発祥の地碑」はあります。

昭和12(1937)年、公衆衛生の技術者養成の機関として、公衆衛生院、都市保健館、農村保健館が米国のロックフェラー財団の寄付により開設されました。 このうちの農村保健館が所沢にあり、全国の保健所の先駆けとなりました。

農村保健館は昭和16(1941)年に所沢保健所と改称し、昭和39(1964)年にけやき台に新築された庁舎に移転し、平成22年に狭山保健所に統合されるまで業務を行いました。

当時の建物は現在、残っていませんが、くすのき台の長者久保(ちょうじゃくぼ)公園に「農村保健館跡」の碑があります。

こちらの碑も「保健所発祥の地碑」と共に、農村保健館設立から40年にあたる昭和52(1977)年に制作されていましたが、所沢駅東口の区画整理により 保健所の倉庫で保管されていました。ようやく設置されたのは、区画整理がほぼ完成した昭和60(1985)年でした。

実際の跡地はこの碑から南東方向に約173m行った所で、武蔵野銀行所沢駅前支店前の歩道に金属の標識で「農村保険館跡」が立っています。

知りませんでした。ロックフェラーという名前も久しぶりに聞いた気がしました。※武蔵野銀行所沢駅前支店は駅の西側にあります。おそらく上の記述は移転前の武蔵野銀行所沢駅前支店があった場所だと思われます。

石碑の横から所沢駅を観るとふだん眼にするブランドの看板がありました。

※2020年8月撮影

では所沢駅に戻ります。

【駅ぶら04】西武池袋線045 に続きます。

(写真・文章/住田至朗)

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