6年前からの数奇な縁 ロッテ1位・鈴木、楽天2位・高田の法大2投手が歩んだ同じ道

ロッテ1位・鈴木昭汰(左)と楽天2位・高田孝一【写真提供:法大野球部】

切磋琢磨した4年間で2人は左右のエースに成長し、“真夏の春”の東京六大学制した

4年越しの夢が叶った。ロッテからドラフト1位指名を受けた鈴木昭汰投手と、楽天から2位指名を受けた高田孝一投手。法大の左右のエースは切磋琢磨しながら、最上級生となった今年、“真夏の春”の東京六大学野球リーグで優勝するなど、成長の階段を共に昇ってきた。高校3年生の秋、2人は夢を封印し、プロ志望届を出さなかった。あの時の決断は間違っていなかったと、今は胸を張って言える。

26日のドラフト会議終了後、DeNA育成1位で指名された法大・石川達也投手と3人でオンライン会見に臨んだ。鈴木は「4年間、一緒に頑張れたメンバーとプロに進めるのは嬉しいです」と仲間の顔を見渡した。会見が終わったのは午後9時すぎ。人生で最も長く感じたという1日。体は心地よい疲労感に包まれていた。

鈴木は中学時代にU-15に選ばれ、当時、侍ジャパンの鹿取義隆監督に才能をさらに見出された逸材。常総学院(茨城)で3度、甲子園に出場するなど、世代屈指の左腕だった。しかし、3年夏の甲子園の後、侍ジャパン高校日本代表に選出漏れし、自信を失っていた。

当時、左投手は豊富で、寺島成輝(履正社→ヤクルト)、高橋昂也(花咲徳栄→広島)、堀瑞輝(広島新庄→日本ハム)、早川隆久(木更津総合→早大→楽天1位)が選出されていた。全員が活躍し、アジアの頂点に立った。鈴木の“落選”は甲子園までの登板過多、コンディションを判断してのこと。実力不足が直接的な理由ではなかったが、相当な悔しさを味わった。

日本代表になりたい、プロに行きたい…そのことが頭の大半を占めていた17歳。スカウトからの評価は高かったが、ぶつかった壁も高く、出すつもりでいたプロ志望届は、学校や家族と相談し、胸の奥にしまった。

「あの時、足りない部分はたくさんありました。もう1度、力をつけて、4年後、絶対にドラフト1位になってやる、という気持ちでいました」

自信を取り戻すための4年間がスタートした。自信は技術で身に付くもの。175センチと身長はそう高くないが、リリースポイントや体幹トレで球速を早く見せるフォームを身につけた。変化球でかわすのではなく、速球を軸に変化球を自在に操るイメージに近づけるため、スピード強化にも取り組んだ。高校時代の最速は142キロだったが、4年間で約10キロアップ。「以前はここまで真っ直ぐで押せなかったと思います」と当時からの変化を感じ取っていた。

だが、成長の一番の要因は良き相談相手でもあるライバルの存在だった。「高田がいたから、僕は4年間、頑張れたと思います。負けたくなかったし、支えになりました。それは今でも思っています」。刺激し合ってきたからこそ、4年生でリーグ優勝、さらにはNPB球団から高い評価を受けるまでになった。

2人の出会いは、高校時代まで遡る。

高校2年秋の関東大会で選抜出場切符を争った常総学院と平塚学園

2014年10月27日、秋季関東大会の準々決勝(現ZOZOマリンスタジアム)で常総学院は5-3で平塚学園を破り、センバツ出場を確実にした。この試合、平塚学園先発の高田は9回5失点で完投負け。鈴木は5回途中から救援登板し、相手打線を抑えた。喜ぶ鈴木に、肩を落とす高田……。この時の思いは今も忘れてはいない。高田は甲子園出場はないものの、1年生の時から公式戦登板を果たすなど、2人はスカウトが注目する投手になっていた。

高田も4年前を回顧する。「順調に高校の最終学年までは来たんですが、最後、自分の思うような球が投げられなかったんです。プロに行けると思わなかったので、(プロに行けるか、行けないかという)賭けに出るよりは、力をつけて、上のレベルで技術を磨こうと思いました」。鈴木同様、プロ志望届は出さず、次のステージへ視線を向けた。

2人が再会したのは約1年後の法大の練習会だった。言葉を多く交わした記憶はないが、“選抜をかけて戦った相手”という存在に気がついていた。そして、翌春。寮生活がスタートした。

先に大学のリーグ戦に登板したのは鈴木だった。高田は「僕は1年生から試合に出られるとは思っていなかったので」と感情を表に出すことはなかったが、2年になると立場は逆転。高田がリーグ戦で先発を任されるようになると、鈴木は調子を落とし、スタンドで応援する日々だった。

負けん気の強い鈴木は感情を隠そうとはしなかった。「すごい悔しかったです。自分は何をしているんだろう、と」。大学初勝利は2年春の高田の方が早かった。鈴木は2年時、1試合もリーグ戦で登板することなく終えた。力の差を感じていた。

また自信を失いかけそうになった時、鈴木の目に入ってきたのはライバル・高田の練習に取り組む姿だった。

来年は違うユニホームでプレー、同じパ・リーグでもし投げ合ったら…

「自分がやるべきことをやっていなかったなと思えました。練習ってサボるのは簡単。ちょっと手を抜いてしまいそうになった時、高田を見ると、一切、手を抜いていなかった。同じ投手メニューをこなしていたので、これでは負けてしまうな、と。それがモチベーションに変わりました」

鈴木は気持ちを表に出すタイプで、高田は胸に秘めるタイプ。互いに自分の持っていない「良さ」に気づき、リスペクトしあうようになっていった。高田は鈴木に直接、伝えたことはないが「マウンドで感情を出して向かっていけるメンタルの強さ」「打者を見ながら投球ができるところ」など、羨ましく感じていたという。

3年生になり、2人は初めて、一緒にベンチ入り。4年生になると鈴木が投手リーダー、高田がサブリーダーとなり、投手陣を引っ張った。グラウンドだけでは足りず、時には寮の部屋でチームが勝つためにはどうすればいいかを話し込んだ。気分転換に鈴木が高田の部屋へ、用もなく入り浸ったこともあった。過去には休日に映画を2人で見に行ったこともある。かけがえのない時間が2人の成長を後押しした。

鈴木は照れくさそうに、高田に言った。「ここまで高いモチベーションを保ってこられたのは高田のおかげだと思っている。“ありがとう”、じゃないけれど、これからも一緒に頑張っていけたらと思っている」。一方、高田は鈴木に「高校の関東大会で負け、大学で4年間一緒にやった。カードの1戦目を(鈴木)昭汰に取られた時は悔しかったけど、この野郎!とは思わなかった。野球への取り組み方や結果を見ていれば、納得した。これからも見習ってきたいなと思う」。ドラフト会議を約1週間後に控えた頃の出来事。お互いが初めて、本音をぶつけ合った。

来年は違うユニホームで別々の道を歩むも、パ・リーグという同じフィールドで対戦する。もしも、お互いが投げあうとしたら「無茶苦茶、意識すると思う」と声を揃えた。鈴木が指名されたロッテの本拠地は、あの時、2人が投げ合った場所。野球の神様はもしかしたら、同じ場所を用意するのではないだろうか。

同じ道を歩んだ4年間は終わろうとしている。ただ、2人だけの物語はいつまでも続いていく。(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

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