社会問題の「今」映し出す鏡 孤独死は遠い世界の出来事ではない 記者ノート

 孤独死の清掃現場の同行取材で、人間関係の希薄化や地域力の低下など、社会が直面している「現実」を突き付けられた気がした。
 何カ月も遺体が発見されなかった県内の60代男性。自宅は「ごみ屋敷」と化していたが、遺品の数々から垣間見えたのは、会社の重役まで務め、ごく当たり前に人生を生きた男性の足跡だった。
 近隣住民によると、男性の母親は認知症で、一人で外をさまよい歩くこともあったという。遺品の日記には、母親が失禁した回数やおむつを買った日をこまめに記していた。
 洗面所には使用済みのおむつが大量に残っていた。介護の仕方が分からず、かといって周囲にも相談もできず、一人で思い悩んでいたのかもしれない。もう少し早く見つけてあげることができなかったのか-。男性が生きた「証」が散乱した現場で考え込んだ。
 記事には盛り込めなかったが、孤独死の清掃現場以外にも、引きこもりの30代男性の部屋や、窓をテープで目張りしてガス自殺を図った人の自宅、ごみ屋敷状態に陥った単身女性のケースなどを取材。遺品整理業者や廃棄物処理業者が向き合う現場は、社会問題の「今」を映し出す鏡のようにも思えた。
 業界の話を聞く中で、遺品整理などのニーズが高まる一方、業者が依頼主に不当に高額な報酬を請求したり、業者が遺品を不法投棄したりするトラブルが問題化していることも知った。業界の健全化は避けては通れない課題だろう。
 今の時代、孤独死は遠い世界の出来事ではない。どう生き、どんな最期を迎えるか。身近に頼る人がいない人たちにどう手を差し伸べるか。男性が残した大量の酒の紙パックをごみ袋に入れながら、そんなことを考えた。


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