【動画】島民悲願の夢の架け橋

 佐賀県唐津市肥前町星賀[ほしか]と日比水道を挟む長崎県松浦市鷹島との間にその橋は架かっている。「鷹島肥前大橋」。全長1251メートル。海の青を背景に、高さ150メートルの2つの主塔から放射線状にケーブルが広がる斜張橋は凜[りん]とした姿で訪れる人を出迎えてくれる。

 橋が架かる以前の鷹島は本土との行き来は対岸の星賀や、松浦市御厨、今福とを結ぶ3つのフェリー航路だけ。運航時間を過ぎれば、急病人は漁船をチャーターして運ばねばならなかったし、台風などでしけが続けば生活物資も入ってこない。「橋」は住民の命と生活を守るため必要だった。
 架橋のために動いたのは1987年に旧鷹島町長に初当選した宮本正則さん(89)。「当時は議会や住民の中にも『出来っこない』など諦めや否定的な声がほとんどだった」と言う。宮本さんは当時の高田勇知事(故人)の協力を取り付け、知事の東京出張に何度も随行し、国への陳情を繰り返した。「建設省(当時)の役人からは『また来たのか』とあきれられたこともあったが、それでも諦めなかった」。
 その熱意は10年後に実を結ぶ。97年、鷹島と九州本土を結ぶ島民の“夢の架け橋”は国の補助を受け、両県の事業として着工した。同町出身で、技術職として町に採用された小林大輔さん(42)は架橋工事を担当する県の出先機関に出向、開通まで携わった。「日比水道は潮流が早く、風も強い。伊万里市と全国各地を結ぶ航路でもあり、貨物船が通れる高さの確保など解決しなければならない課題がいっぱいあった」と、当時を振り返る。
 特に悩ませたのが強風。主塔はコンクリート製だが、橋桁は鋼材でコンクリートより軽い。しかも中央部は貨物船が橋の下を通れるよう海面から26メートルの高さがあり、路面は陸側から橋中央にかけて勾配が急。強風で橋が揺れても大丈夫なように路面を支えるワイヤーのたるみの調整には苦労があったという。
 着工から12年後の2009年4月18日、“夢の架け橋”はついに開通した。当日は鷹島、肥前両町からの親子3代での渡り初めや、元寇の際の戦勝祝いが始まりと言われる「六本幟」の披露などがあり、島をあげて祝った。架橋に尽力した宮本さんは「開通したときのことは今でも鮮明に覚えているという。感無量だった。自然と涙が出た」と話した。

© 株式会社長崎新聞社