【退任会見】V長崎・手倉森監督「礎は残せた」

 V・ファーレン長崎を2年間率いた手倉森誠監督(53)が、J1昇格を果たせずクラブを去ることになった。18日午前の退任発表から間を置かずに会見した指揮官は、時折無念さをにじませながらも前向きな言葉を紡ぎ、選手たちやクラブの将来へエールを送っていた。

 -退任の経緯は。
 きのう(17日)クラブから伝えられて。退任と出ているが、解任。昇格を果たせずものすごく責任を感じていた。その中でクラブはかじを切った。自分の思いを酌んでもらったのかなとも思うし、将来長崎をビッグクラブにするビジョンの中で、少ない期間だったけれど、礎になるものが残せたのかなと思っている。勝負の世界で、勝たなければ退かなければいけない。上がれない中でもう一回J2で戦う申し訳なさが大きくて。呼んできた選手、スタッフと一緒に仕事ができなくなって申し訳ない。

 -目標までわずかに届かなかった。
 これでぶつ切りじゃなく、継続性を持って将来いい方向に進んでいくようになれば、自分も関われたことへの誇りを感じられる。最後にいいチームになってきた中で、クラブが何か勝ち取るためにはやはりチームだけではなし得ないものをもっとつくり上げないと難しくなる。ピッチ上の戦術うんぬんではなく、クラブとして挑む姿勢をもっと構築できればよかったという反省がある。

 -2020年はコロナ禍で過密日程を余儀なくされ、9月の8戦勝ちなしが響く結果になった。3位はクラブ史上2番目の好成績だが、3~6位が進めるはずのプレーオフも中止された。
 19年に引き継いだ時、J1にいた財産が残っていなかったなと感じながら、方向修正するべくメンバーやスタッフを入れ替えて昇格に見合う仕事をした。だが、どのチームにも言えることだが難しいシーズンになったのは間違いない。その中で選手はポジティブだったし、J1からオファーが来るように育った。(9月は)夏場の疲労がたまり、メンタル面のマネジメントにも課題があった。あそこで一つ、二つ勝てていれば違っていたんだろう。

 -日本代表の活動を経て、久しぶりに率いるJクラブだった。
 代表と違って、毎日選手と接しながら活動できるのはやはり楽しいし、目標に向かって行動を起こす充実感もあった。ただ、もっとファンの皆さんと顔を見合わせて仕事をしたかった。1年目は日常の練習をたくさん見に来てくれて、サポーターが温かいなと思っていたが(コロナ禍で接する機会が減った)。自分自身、もう少しサポーターを近くに感じたかった。本当にスタッフ、選手は一体感があったし、いいグループになった。プレッシャーよりもやりがいが強くて、昇格できなかった悔しい思いも選手、スタッフ、フロントも一緒のつもり。

 -今後について。
 まず長崎で関わった人たちはぜひ手倉森イズムをくみ取って、それぞれの糧にしてほしい。一番望んでいるのは日本サッカーの発展。サッカー界で生きる人間が社会に公益をもたらしてほしい。そういう社会にしなければいけない。自分が発した言葉が人生のどこかで役立つことがあったらうれしいと、選手たちに伝えた。この2年間でばらまいた手倉森節を長崎で役立ててもらいたいし、全国にちりばめてほしい。そういう意味で(自身は)短いスパンでもクラブを渡り歩くような指導者になっていければと思う。

 


© 株式会社長崎新聞社