【高校野球】「返事がない子もいた」 燕黄金時代の名手、名門の母校指導で感じた葛藤と喜び

元ヤクルト・飯田哲也氏が高校球児の指導で大切にしていることは【写真:荒川祐史】

ヤクルト、楽天でプレーした飯田哲也氏は拓大紅陵の非常勤コーチに

元プロ野球選手の高校野球指導者が増え、レベルの高い練習が受けられるようになった。ヤクルト黄金期のリードオフマンとして活躍し、現役引退後はヤクルト、ソフトバンクでコーチだった飯田哲也氏も母校の千葉・拓大紅陵で今年、非常勤コーチを務めた。元プロが指導において最も大切に考えていたものとは一体、どんなことだろうか。

飯田氏は1986年の拓大紅陵3年時、副主将の捕手として春・夏の甲子園に連続出場。それぞれ新湊(富山)、東洋大姫路(兵庫)に敗れたが、千葉県内では公式戦無敗という強さを誇った代の中心選手として活躍した。

学生野球資格回復研修制度を受け、今春から母校の依頼を受け、指導をスタート。同校は名将・小枝守監督(故人)のもと、春4回、夏5回の甲子園出場した名門。1992年夏の甲子園では準優勝を果たした。近年は春は2004年、夏は2002年以来、甲子園出場はない。昨夏8月にはOBで元ロッテの和田孝志氏が監督に就任するなど、チームを強化。飯田氏は週1~2回のペースで同校のグラウンドで生徒たちを指導している。

久しぶりに高校野球のグラウンドに立つと、当時との違いに驚かされた。時代背景も指導方法も異なる。徹底管理された野球、長時間練習、厳しい言葉……今はそれらを持ち出し、押し付けるわけにはいかない。飯田氏は自主性を促すために、生徒たちとまず対話をしていくことを心がけた。

「最初、今の子は話をじっくり聞くことができないのかなと感じました。すぐにその場から立ち去ろうとしてしまう。挨拶をするけど、返事がない子もいる。生意気な態度を取る子もいました(笑)」

それでも生徒たちと向き合い、うまくなりたいか、どうなりたいか、と語りかけた。プロに進みたい子、大学進学して野球を続けたい子もいれば、高校で野球は辞める予定の生徒も、楽しく部活動ができればいいという生徒と様々だ。その目的によって、スタンスを変えている。

「この子をうまくするためにはどうしたらいいか。この子がどうなりたいかという目的、その先を見据えた指導が大事なんじゃないかなと思って、今は指導しています。学校によっては大勢の部員に対して、指導者が一人となるとそうはいかないかもしれませんし、勝ちにこだわる監督もいますから、そこまで手が回らないかもしれません」

拓大紅陵の非常勤コーチを務める飯田哲也氏【写真:荒川祐史】

飯田コーチの願い「できる子はできない子に『やろうぜ』と言ってほしい」

拓大紅陵時代の2学年下に当たる和田監督は投手、飯田氏は野手といった役割分担で練習は進められている。全員に共通している指導は野球を楽しくやることと、挨拶、礼儀、道具の管理など社会に出ても通用する人間力の形成だ。さらに、野球で上を目指す選手には練習内容の見直しや野球に対する取り組みの意識の改善、野球技術を伝えている。

「間違ったことをずっと練習することほど、意味のないものはありません。打撃に関しても、守備でも走塁でも、続けていてうまくならないのだったら、どこをどうしたらいいのか、変えないといけません。まずは自分で考えさせて、話をしにいく。僕の現役時代を知らない世代ですから、言うだけでなく、結果がついてくれば、僕のことを信用してくれるようにはなりますね」

外角球を打つことが苦手な選手に、腰の使い方を伝えると感覚を掴んだようで「これですね!」と目を輝かせながら、練習に取り組んでいたという。連動してヘッドスピードなどに変化が表れると、その後の練習試合で本塁打が飛び出したという。

「伝えたのはワンポイントです。あとは自分で考える。上手にできる子もいれば、できない子もいますから。なので、僕はできている生徒が、まだできていない子に『やろうぜ』と伝えていってほしいんです。何でもかんでも、監督やコーチの言うことを聞くのではなく、全員で輪になってね。野球は個人のスポーツではありません。同じ方向に進み、道を外しそうになったら注意できる仲間がいてほしい。僕はそういう姿を見ていきたいです」

もしも、勝つことが至上命題とされている監督だったら、このような思考になるのは難しいかもしれない。飯田氏は「僕は監督ではないから……」と非常勤のコーチの立場だからこそ言えることであることを前提にして、高校野球との向き合い方について語ってくれた。

今年はコロナ禍により、思うような練習や選手たちと触れ合いができなかったのは心残りだったが、すでに新チームを指導し、手応えも感じている。小枝守監督が作った基本に忠実で、人間力を育成する厳しい野球を礎に、元プロたちの指導で新しい風を吹かす――。名門が全国の舞台に戻ってくるのはそう遠くはないのかもしれない。

◇飯田哲也(いいだ・てつや)1968年5月18日、東京都出身。1986年春、夏の甲子園に出場。同年ドラフト4位でヤクルトに入団。野村克也監督に才能を見出され、捕手から内野、外野へとコンバート。1991年から7年連続でゴールデングラブ賞を受賞。1992年には盗塁王を獲得し日本一に貢献するなどヤクルト黄金期を支えた中堅手。引退後はヤクルト、昨年までソフトバンクでコーチを務め、現在は野球解説者と拓大紅陵の非常勤コーチ。(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

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