恩人、なかにし礼さん

 ひと頃は「この辺(へん)でよかばいと思うとたい」と「古い歌探し」に熱意を失っていた学者がやおら、その気になる。「小浜に行こうと思うとるばってん、おうちついてこんね」▲おうち(あなた)とは長崎・丸山の芸者、愛八。江戸末期にはやった「長崎の歌」を知る91歳の芸者がいると聞き付け、郷土史家の古賀十二郎(じゅうじろう)は愛八とともに小浜へ急ぐ。作詞家なかにし礼さんが書き、直木賞を受けた「長崎ぶらぶら節」の後半は、読んでいて胸が高鳴る▲〈長崎名物ハタ揚げ盆まつり 秋はお諏訪のシャギリで 氏子がぶうらぶら…〉。3年かけて2人は忘れられていた名曲に出合う▲昭和初期、愛八がさらに歌い継いだこの曲がレコードに残された。なかにしさんは20年前、講演で語っている。「レコードで愛八の歌を聴いたとき、言葉に表せない感動が伝わり、(小説の)創作意欲を駆り立てられた」▲愛八が心打たれた「長崎ぶらぶら節」の歌声は、時を超えて作詞家の心に響き、小説が生まれた。映画にもなった。「長崎らしさ」を全国に伝えてくれた恩人でもある。なかにしさんが82歳で亡くなった▲小説で愛八が言う。「歌には多くの人の夢と祈りがあり、歴史が刻まれているとだから」。昭和歌謡史にひときわ輝く数々の歌を残した人の“肉声”でもあるのだろう。(徹)

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