矢野顕子が描いた別れと希望の匂い「また会おね」サヨナラだけが人生よっ! 1980年 10月1日 矢野顕子のアルバム「ごはんができたよ」がリリースされた日(また会おね 収録)

2020年は別れの年… そして新しいことを覚えた年

「さよならだけが人生だ」とは、漢詩『勧酒』の井伏鱒二による名訳フレーズだが、2020年はこの一節が頭をぐるぐる駆け巡った年だった。

私たちは大勢で集まって騒ぐことと別れ、何時間もの楽しいおしゃべりと別れ、志村けんや筒美京平やエディ・ヴァン・ヘイレンと別れ、満員御礼コンサートやイベントごとと別れた。通勤というルーティンから遠ざかったり、大切な人を亡くした方もいらっしゃるだろう。私も15歳の愛犬と死別した。

その代わり、マスクをして手を洗い、うがいをし、注意して人と距離をとり、黙って過ごす日常を覚えた。

独りで活動することも家にこもることも私は好きだけど、流石にこう長引いてはストレスがたまる。国の施策はなかなか進まない。医療に従事する方々等の逼迫感をニュースで知らされるにつけ胸が痛む。

ウイルスは誰かのせいではない。誰にも文句は言えない。何かしたいが手を洗うしかない。じゃあ、このやるせないモヤモヤをどこに投げ出せばいいの?

そうした澱んだ現在の社会状況で、心をちょっぴり元気付けてくれるのが、オンラインでのコンサートやイベント配信だ。

なかなか観に行くことができなかったライブやトークイベントがオンタイムで家で楽しめるなんてラッキー! このご時世だからこそ増えてきたサービスを、勇んでちょこちょこチェックしている。

オンラインでのコンサート配信、矢野顕子「さとがえるコンサート2020」

そんな年末のさなかの12月13日。矢野顕子の『さとがえるコンサート2020』@NHKホールを自宅で鑑賞した。アッコちゃんの生ライブは約30年ぶりだ。前回は六本木のピットインという小さなライブハウスで観た。ギターに窪田晴男(パール兄弟)を迎えての、こじんまりした良きステージだったな。その後機会に恵まれないまま30年。

配信は何よりのチャンスだったし、心境的にもたぶん矢野顕子が必要だったのだろう。アッコちゃんの歌にドキドキしたかったのだと思う。迷わずポチった。

ニューヨーク在住の矢野顕子が毎年恒例で行なっている「さとがえるコンサート」は、今年25年目。記念すべき2020年はリアル&リモートでの開催となった。例年のようなツアーはできず、公演はNHKホールのみだったこと、帰国後14日間の隔離期間を一人ぼっちで過ごしたこと、本公演のために奔走したスタッフへの謝辞など、途中途中トークを折り込みながらステージは進む。

前半は「ふりむけばカエル」「クリームシチュー」「春先小紅」「PRAYER」などを黄色のワンピース姿で披露。最初のMCで涙ぐみ、その後も何度も声を詰まらせて歌っていた。

後半、お色直し後はふんわりした白のドレスにストレートボブヘアーで登場。そしてあの笑顔とピアノでさらに大流の如く矢野ワールドを歌い描いていく。大好きな「また会おね」に「津軽海峡冬景色」のカバー(!)、「ラーメン食べたい」「ひとつだけ」「ごはんができたよ」と、癒しと赦しと包容力の限りを尽くして心を喜びで満たしていく。私はおんおん泣きながら歌を噛み締めていた。どうか届くようにと精一杯の拍手をPC前で送りながら、目に映る全てを記憶に焼いていた。

「また会おね」をバンドセットでやったのは思い出せないくらいなかなか久しぶりです

…と矢野顕子は言った。

ギターは佐橋佳幸、ベースは小原礼、ドラムは林立夫。

愛情や母性がこぼれ落ちるアルバムに収録された別れの曲「また会おね」

「また会おね」は通算6作目『ごはんができたよ』に収録されている、一時期はよくライブの最後に披露されていたナンバーだ。『ごはんができたよ』はYMOの全メンバーがバックアップした、名作の呼び声高いLP2枚組のボリューミーな4thスタジオアルバム。

1980年の5月に長女の美雨ちゃんを出産して、レコーディングして、10月にはこんな大作を発表するのだからアッコちゃんはやっぱりすごい。でもね、ちょっと不思議なのは、出産後という状況もあってか愛情や母性がこぼれ落ちてくるような楽曲群の中で、「また会おね」がまごうかたなき別れの曲ってことだ。

 はじける光 わたしの指で
 編んであげるわ へたっぴいだけど
 わたしがここに いたことさえも
 色褪せるでしょう かなしいけれど

 忘れない忘れない この家この街
 忘れない忘れない
 あの目をあの手をあの日を

 あふれる想い あなたの前へ
 置いてきたのよ だれも見てない

引っ越しの歌か、普遍的別れの歌か、はたまた男女の別離の歌なのか。歌詞はあらゆる方向へ向かうさまざまな思いをはらんでいる。決して色恋沙汰だけではなく、とても大きなビジョンの中で別れを描いている。

最後に念押しするかのように2回繰り返す「サヨナラ」は、ここで区切りをつけ、もう振り返らない決意のごとく響く。けれどタイトルでは「また会おね」と満面の笑みで手を振っている。

もう会わないだろうという意識の奥から、淡く優しい嘘をポジティブに私たちに投げかけてくる。

別れゆく誰かのことを思う。心の底から思う。涙の中でぼんやりと思い出は弾けながら、ゆっくりぼやけていく。あの目もあの手もあの日もどんどん過去になっていく。胸の痛みも止まらない涙もやがて消える、悲しみは癒える。時間は立ち止まることなく全てのものに平等に流れる。夜は皆の上に来る。感情は風化し、いつか砂になる。思いは形をなくしてサラサラの砂になる。

でも、忘れないのだ。

 鏡の前で ほほえんでみる
 ほっぺたがちょっぴり ひきつるけれど
 さよならを言う 練習中に
 もう涙がとまらない ヤだわ

 忘れない忘れない この家この街
 忘れない忘れない あの目をあの手を
 忘れない忘れない この家この街
 忘れない忘れない あの目をあの手を

 忘れない忘れない この家この街
 忘れない忘れない
 あの目をあの手をあの日を

たくさんの思い出やありがとうを込めて、サヨナラ サヨナラ また会おね

考えたら人生のお別れのタイミングには大概この曲が側にあったなあ。

学校を卒業した日、雨の中を歩き続けて男との別れを決意した日、社長と喧嘩して会社を辞めた日、親友が天国に還った日、愛犬が虹の橋を渡った日、仲良しの一家が遠くに越していった日。

どんな時もどんな時も、あふれる気持ちをどこかや誰かの前に置いてきた。感謝、怒り、悲しみ、愛、慈しみ、慟哭。

2020年もそう。
志村けんの前にだって、小松政夫の前にだって。
たくさんの思い出やありがとうを込めて。

そして胸の痛みを踏みしめて私たちは進むのだ。どんなにつらくとも一日一日を凌いで。終わりは始まりだったりするからね。

『グッド・イーブニング・トウキョウ』という1988年作、グラノーラ・ツアーの模様を収めたライブアルバム・バージョンもいい。歌詞がちょっぴり変えられているし(矢野顕子ならでは!)、何よりゲストギタリスト、故・大村憲司のエモーショナルなギターが万感胸に迫る。ああ、また聴きながら泣いてしまう。

 あふれる想い あなたの前へ
 置いてきたのよ だれも見てない

 サヨナラ サヨナラ

皆様どうか元気で。お気をつけて。
サヨナラ サヨナラ。また会おね。

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