【高校野球】「夜はほとんど寝てない」 名門復活担う元プロ監督、就任直後に甲子園当確できた訳

常総学院・島田直也監督【写真:荒川祐史】

今春からコーチ就任、新チームから指揮し秋季関東大会準優勝

日本ハムや横浜(現・DeNA)などで投手として活躍した島田直也氏が今年7月の新チーム発足から母校・常総学院の監督を務めている。秋季関東大会に茨城2位で出場し、見事に準優勝。新人監督ながら、来春の選抜大会出場を濃厚にした。すぐに好結果が出たが、睡眠も食事も十分に取れないほど、大きなプレッシャーの中での戦いだった。

鮮烈な印象を残した1987年夏。爽やかな風を吹かせた当時のエースが監督として甲子園に戻ってくる。

島田監督は当時1年生だった仁志敏久氏(現DeNA2軍監督)らと初出場のチームを準優勝に導いた。決勝戦は片岡篤史氏(元阪神)、立浪和義氏(元中日)、野村弘樹氏(元横浜)らのいたPL学園(大阪)に挑んだ夏だった。その後、ドラフト外で日本ハムに入団。横浜移籍後は中継ぎ投手として1998年の日本一にも貢献した。茨城県の高校野球界では知らない人はいない。

この春から投手コーチとなり、7月中旬、監督に就任。2016年夏以降、遠ざかっている同校の甲子園出場の期待も大きく高まった。しかし、それは同時に島田監督にとっては大きな重圧だった。包み隠さず、就任当初のことを明かしてくれた。

「正直、周りが気になってしまいまして……『自分はどのように思われているんだろう』と。どうせプロ上がりのやつが来たから、勝って当たり前だろうとか、そう思われているのかなと、余計な事を思ってしまっていましたね」

初陣となった茨城県秋季大会は2位。選抜の重要参考となる秋季関東大会に駒を進めた。初戦の前橋商(群馬2位)を破ると、木更津総合(千葉1位)、東海大甲府(山梨1位)と強豪を撃破。決勝は健大高崎(群馬1位)。9回に同点に追いつかれ、延長11回の末、敗れたが最後まで接戦だった。

「県大会も関東大会も夜はほとんど寝てないです。無理矢理、寝酒みたいなことをやっても、やっぱり寝られない。食事も全然でしたね……」

ただ、そんな自分の姿を選手には見せられない。『プレッシャーを力に変えろ!』と言い続けていたのは監督自身だったから。現役時代によくやっていたメンタルコントロールでベットに入り、目を閉じる日々だった。

「選手の頃のマウンドは、良いイメージしか持ってなかったんです。もちろん、プレッシャーもありましたけど『ここで抑えればこうなっている』と抑えた後のイメージを持っていました。例えば、巨人戦で投げる時は『全国中継だよなぁ……テレビ映ってるよな』とか。まぁ、でも自分がプレーヤーとしてやっている方が楽です。ベンチで試合を見ている方が嫌です(笑)」

緊迫した場面の登板は、駆け引きや技術などよりも、精神面を強くして、松井秀喜氏、高橋由伸氏ら巨人の強力打線に挑んでいったことを思い出す。

「すごいバッターばかりだったので、抑えたら『俺も有名になれる』というような感じはありました。なので(監督になった)今年も勝って、みんなと喜んでいるというイメージを自分の中で持っていました。選手に『監督、弱気じゃん!』とか思われたくないですしね。絶対に緊張はする。その緊張を僕も選手も力に変えていました」

弱気な言動は選手たちにも影響を与える。自分が元プロ選手である以上、注目が集まってしまい、それが広がってしまうことは避けたかった。配慮しながら言葉を選んで采配をした。

常総学院・島田直也監督【写真:荒川祐史】

就任約4か月、最初にやったことは……

柔和な表情に、ゆっくりした口調。島田監督はインタビューだけから推測すると、優しさや穏やかさを感じる。しかし、幼い頃から負けず嫌いで、闘志は剥き出しにするタイプだった。

「トランプでも、負けたら本当にむかついていましたね。僕の中では最初から、負けるという想定で物事に取り組んだことはありません。ベンチでも『ガミガミ』と言っていたとは思います。選手は勝ちたいと思っていたと思うんですけど、僕の方も勝ちたい!と思っていた」

練習中はそこまで大きな声を出したりすることはない。怒声、罵声ももちろん、ない。島田監督の言葉に熱が帯びるのは公式戦の大会中のベンチ内だ。長年、勝負の世界で戦ってきたからこその感覚だった。

「練習試合の時は、最後にミーティングをして、その日の振り返りなどができるんですが、一度も負けられない公式戦のような戦いでは最後に振り返っても仕方がない。その場でダメなものはダメだと言うようにしてきました。みんな流しているかもしれませんが、ベンチでも何も言わないよりははっきり、言った方がいい」

一瞬、一瞬が勝負だった。常総学院の“レジェンド”に強豪復活のタクトは託され、見事に関東準V。昨夏の茨城県の独自大会では3回戦で敗れた。この短い期間でどのようにチームを変えることができたのか?

そう問うと、しばらく熟考し「分からないですけど……」と前置きした上で、春に母校へ帰ってきた当時のことを思い返した。横目では、機敏にグラウンドで練習、トレーニングをする選手たちを見ている。

「ちょっと『違うな』と思ったんです。指示が出されてからはしっかりと動くのですが、出されるまではずっとしゃべていたりする。練習を見ていて、『あれ? どうしたんだろう』『なんでやらないんだろう』ということが多かった。僕もいろんな経験をしてきて、選手が主体性を持ってやっているところにいました。それが当たり前にできていたから、ここに来て『あれ?』って思ったんです。もしかしたら、この子たちは言われないとできないんじゃないかな、と」

イマドキ世代をどうやって意識を変えることができるか

当たり前は、場所が変われば、そうではなくなる。常総学院だからできるだろうという固定概念やこれまでのキャリアで得た考えは一旦、捨てた。まず、島田監督は選手たちが自主的に行動できるよう“レール”を敷いた。

「プロの練習でも取り入れられているように、1日の練習の流れの中で、組を作って、ローテーションで練習を回すようにしました。ティー打撃をやる組、ケージでフリー打撃をする組……時間を決めて、回して、同じことをやらせるようにしました」

最初、監督が指示をしながらやっていたが、徐々に自分たちだけで動くようになっていた。今は主将を中心に上級生が覚えてくれている。ポテンシャルが高いのにもったいない。もっと練習を効率化すれば、技術は上がると思っていた。率先して行動することが短期間で身につき、好結果としてついてきた。

「外から見ている人からチームが変わったとか言っていただけています。ですが、またダラダラしてきたら、そこだけは言います。だから、僕はそんなに変わったとは思っていないです。でも、成績が出たから大丈夫だとも思っていません。僕はそういう考えが嫌で(主体性を失ったら)また同じようなことになるよ、と生徒たちに言っています」

先月、この世を去った名将・木内幸男元監督からは、指導については細かくは教わってはいない。自身の高校時代は指揮官の指示通りに動けば、勝つことができた。怒られながらも、歯を食いしばり、くらいついた。だからこそ、今がある。ただ時代の変化とともに指導方法も変えなくてならない。“新米監督”は試行錯誤しながら、監督業と向き合っている。

「(コーチで来た時は学校側に)2、3年は勉強させてほしいとは言いましたが……(監督になったのも常総学院に)恩返しをしたいという気持ちで今はいますね」

たくさんの引き出しを持って、監督して初めて甲子園の土を踏む準備をしている。自主性あふれる生徒たちの大暴れする姿が、名将や母校への恩返しとなり、野球人・島田直也を強くする。(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

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