日露戦争直後、べっ甲アルバム発見 長崎の風景 古写真61枚

1906年ごろの「三菱造船所第三ドック」。世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産の一つで現在も稼働。長崎港には客船や商船などが写る(長崎外国語大提供)

 日露戦争終結の翌年、1906(明治39)年ごろの長崎の風景などの写真61枚を収めたべっ甲装丁の古写真アルバムが見つかった。調査に当たっている長崎外国語大(長崎市)の姫野順一・新長崎学研究センター長(73)によると、当時要塞地帯だった長崎は一帯の風景撮影を禁じられていたため写真は希少。三菱造船所2代目所長の荘田平五郎が退任する際、市民有志が贈った特注品とみられる。

明治期、荘田平五郎に贈られたべっ甲製の古写真アルバム=長崎市、長崎外国語大

 類似のアルバムが皇居内の三の丸尚蔵館(宮内庁所管)にも所蔵されており、皇室献上品と同等の工芸品、資料と位置付けられるという。
 荘田は「三菱財閥の大番頭」として知られる人物。1897年、長崎に赴任。退任する1906年まで同造船所長を務めて経営の基礎を築き、造船事業などを軌道に乗せた。長崎経済の発展に貢献した荘田の帰京に合わせ、長崎の官界、財界有志が、写真師の上野彦馬の弟子、竹下佳治に長崎の名所や寺社、産業施設などの写真撮影を依頼。アルバムは長崎市の二枝鼈甲(べっこう)店に作成させた。
 アルバムは、長崎外国語大が秋田県内の古書店から2019年3月に購入。縦27.3センチ、横36センチ、厚さ7.3センチ。表紙や裏表紙などがべっ甲製。写真を収容するシートは12枚で楕円(だえん)や角形の枠を配置。表紙に「贈呈荘田君」などの文字がある。写真は全てモノクロで、縦約10センチ、横約14センチが37枚、縦約6センチ、横約9センチが24枚。1906年ごろの長崎港や浜町、県庁、県警本部、諏訪神社、茂木街道などに加え、雲仙市の小浜海岸や大村湾沿いを走る蒸気機関車など長崎市以外の写真、三菱造船所の「飽ノ浦工場」や造船中の「立神ドック」などもある。

明治期の長崎市浜町の風景。現在の浜市アーケード付近とみられる(長崎外国語大提供)

 三の丸尚蔵館の類似のアルバムについては、姫野氏が関連する論文などを調べたところ、荘田に贈られたアルバムと同じ二枝鼈甲店の製作で、写真もほぼ同じ。長崎を訪問した皇室関係者に献上されたとみられるが、荘田のアルバム作製が先だったらしい。
 姫野氏は「重要文化財的な価値を持つ。日露戦争直後の長崎の生写真がまとまって残っているのは興味深い。明治から昭和初期の研究は手薄なので近代史の重要な資料となるだろう」と話している。同大は、写真をインターネット上で一般公開できるよう準備を進める予定。

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