駅舎見納めです【木造駅舎巡礼08】山田線04

※2020年9月撮影

トップ画像は、JR東日本山田線区界駅を通過した快速「リアス」。陸中川井駅を10時2分に出た列車なので区界駅10時45分くらいだったかな。

待合室から駅出入口。外に工事関係の車両が駐まっています。

※2020年9月撮影

窓に掲出されていた区界駅の「旅もよう」。1980年代から90年代にかけてJR東日本の各駅に置かれていた小冊子です。

※2020年9月撮影

内容が面白いので、以下要約します。

兜明神岳麓の区界峠は、郡界峠と呼ばれました。江戸末期から明治初め頃、人々は牛の背に荷を積み盛岡から米穀雑貨、宮古から海産物を4泊5日かけて運んでいたのです。茂市、川井、川内と泊まり区界峠の麓、田代、去石が盛岡への最後の宿でした。その頃、去石はずれに「がんべ茶屋」がありました。茶屋の親父が「休んでいったらよかんべい」「一服していったらよかんべい」と声をかけたことから名付けられました。

区界峠に茶屋を開いた男勝りの女性、嘉永6年(1853年)生まれの「まん」が、大正4年(1915年)甥の金太郎を養子にして茶屋を任せ隠居しました。

1928年(昭和3年)には上米内駅から区界駅(25.7km)が延伸。1930年(昭和5年)には区界駅~松草駅(8.0km)も延伸されます。

この工事の際に金太郎夫婦は豆腐を作って現場で売りました。区界駅開業の1928年(昭和3年)「まん」は74歳、その3年後、1931年(昭和6年)5月6日養子にした甥夫婦に見取られて亡くなったのです。

もうひとつは兜明神岳の兜神社の由来記ですが長くなるので割愛します。

待合室とホームの間にトイレがありました。

※2020年9月撮影

ホームから宮古駅方面。交換設備は撤去されていますが、かつての相対式ホームが残っています。

※2020年9月撮影

使われなくなった上りホームにも駅名標と待合室があります。駅舎解体とは別の班が工事をしてるのかな。

※2020年9月撮影

元上りホームの向こう側で重機を使って工事をしています。ロープの張り方からホームを撤去するのでしょうか。

※2020年9月撮影

現行ホームから盛岡駅側。

※2020年9月撮影

東北一高い標高744メートルの区界駅の横断幕。駅舎も見納めです。

※2020年9月撮影

元は相対式ホーム2面2線だったことが瞭然の線形。

※2020年9月撮影

駅名標。

※2020年9月撮影

区界駅は、1928年(昭和3年)開業。2015年(平成27年)12月土砂流入で営業休止。窓口業務は継続。2016年(平成28年)窓口業務休止。2017年(平成29年)上米内駅~川内駅復旧で営業再開。窓口業務も再開。2018年(平成30年)交換設備撤去。CTC化で駅は無人化。2019年(令和元年)普通列車だけの停車駅になります。2020年(令和2年)12月新駅舎供用開始予定。

名所案内は兜明神。

※2020年9月撮影

最後に駅舎内にあった「使用済キップ入れ」。駅舎解体で捨てられてしまったでしょうね。

※2020年9月撮影

では、次の木造駅舎に進みます。

(写真・文章/住田至朗)

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