メクル第515号 初心忘れず、ひたむきに努力 野球解説者 下柳剛さん

子どもの頃は「いっぱい食べて、寝て、勉強して」とメクル読者にメッセージ=長崎市内

 タフなピッチングと不屈(ふくつ)の精神(せいしん)で人々を魅了(みりょう)した元プロ野球選手の下柳剛(しもやなぎつよし)さん(52)。引退(いんたい)後は解説(かいせつ)者として関西を拠点(きょてん)に活動しています。古里の長崎では、長崎国際(こくさい)テレビ(NIB)で土曜朝9時55分から放送中の人気街ぶら番組「あさじげZ」に出演(しゅつえん)。気さくな人柄(ひとがら)から“しもさん”と親しまれています。そんなしもさんが高校卒業まで過(す)ごした長崎時代や後輩(こうはい)へのメッセージとは-。

 物心ついた時から、将来(しょうらい)の夢(ゆめ)は「巨人(きょじん)の星」になること。公園でキャッチボールをしたり、釣(つ)りに行ったりと、体を動かすことが好きで、小学3年からソフトボールを始めました。「ボールを投げるのが楽しい。ヒットを打つとうれしい」。何より仲間とワイワイやれることが好きでした。
 いわゆる“野球エリート”育ちではありません。中学ではファーストを守っていて、3番手ピッチャー。高校でも、特待生のいいピッチャーがいました。「勝てないんだろうな」。しかし腐(くさ)らず、厳(きび)しいトレーニングをこなしました。学校からグラウンドまで4キロ以上のランニングや、坂道ダッシュ。思い返しても「二度とやりたくない」と思わず苦笑い。そのひたむきな努力が実り、最後にはエースの座(ざ)を勝ち取りました。
 プロの世界では、生涯忘(しょうがいわす)れられない瞬間(しゅんかん)を味わいました。2005年に最多勝獲得(かくとく)を懸(か)けた試合で、球場を包んだ地鳴りのような歓声(かんせい)と盛(も)り上がり。なのに、何も聞こえないぐらい頭は冷静で、顔が熱くなって「やめられんな、この商売」と感激(かんげき)したそうです。トップの世界は「やればやっただけ自分に返ってくる」。格闘技(かくとうぎ)やメンタルトレーニングなどを積極的に取り入れて心身を鍛(きた)え上げ、35歳(さい)を過ぎても結果を出し続けました。
 調子が悪かったり、体を壊(こわ)したり、学生時代から何度も頭をよぎった「やめたい」という思い。踏(ふ)みとどまれたのは、野球を始めた頃(ころ)の「初心」を大事にしてきたから。今、いろんなことにチャレンジしているメクル読者へ「何かあったら一回振(ふ)り出しに戻(もど)ってみては。無理してしんどいより、いろんな選択肢(せんたくし)があるんだから、方法を変えてみるのもいい」とアドバイスをもらいました。
 長崎の高校球児の活躍(かつやく)にも注目しているという下柳さん。「一人でも多く、俺(おれ)らの世界の後輩になってほしい」と期待しています。

「あさじげZ」のロケをする下柳さん(中央)。共演する古本史子さんとの息もぴったり=長崎市内

◎得意料理はオムライス

 -選手時代、試合前のルーティンは?
 「フェアグラウンドに入るときは、白線を左足でまたぐ」

 -試合の前に必ず食べる“勝ち飯”は?
 「大勝軒(たいしょうけん)のつけ麺(めん)。甲子園(こうしえん)球場で試合がナイターの日は、昼ご飯に必ず食べていた。店の名前も“大きく勝つ”で縁起(えんぎ)がいい」

 -直したいクセは?
 「小さい頃(ころ)から、真剣(しんけん)な場面になればなるほど、口の中で舌(した)を巻(ま)いてしまう」

 -料理が得意だそうですが、自慢(じまん)のメニューは?
 「オムライス。卵(たまご)がふわトロで、渦(うず)を巻いたように仕上げる」

 -世の中で一番怖(こわ)いものは?
 「高いところ。子どもの頃は歩道橋も渡(わた)れず遠回りしていた。今でもつり橋は絶対(ぜったい)に渡れない!」

 【プロフィル】1968年5月16日、長崎市出身。市立坂本小―市立江平(えびら)中―瓊浦(けいほ)高卒。新日鉄君津(きみつ)を経(へ)て、ダイエー(現ソフトバンク)、日本ハム、阪神(はんしん)、楽天。2005年、37歳での最多勝獲得は最年長記録。オールスター戦は5回出場。13年に44歳で現役引退(げんえきいんたい)。184センチ、87キロ。

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