「バントの神様」が阪神で“川相塾”を開講中 元巨人・川相臨時コーチから授かったお宝

藤浪にバント指導する川相臨時コーチ(右)

【楊枝秀基のワッショイ!スポーツ見聞録】実は我が家には「バントの神様」から授かったお宝がある。何だ、自慢かよ…と言わず、お付き合いいただきたい。その品物に刻まれた“縁起のいい数字”にまつわるエピソードを披露したいと思う。

今回の主人公は言うまでもなく阪神の宜野座キャンプで臨時コーチを務める川相昌弘氏(56)。初日から連日、精力的に“川相塾”を開講している。

まずは選手個々の特徴をつかむことに徹し、その上で自身の武器だった確実なバント、堅実な守備を伝授する。守備では北條、木浪、小幡、ルーキーの中野ら遊撃手を中心に基礎から指導。久慈内野守備兼バント担当コーチと連携しながら丁寧にレクチャーしている。

阪神は昨年まで3年連続で12球団ワーストの失策数を記録した。川相氏に白羽の矢が立ったのもそのためで「コーチの皆さんにも僕の考えを伝えた上で、いいことは継続してもらわないといけない」と課せられた役割は認識している。

バントに関しては基本に加え“極意”を伝授。「140キロで変化するようなボールがきたら、僕だって打球を殺せない。とにかく確率の高い方向に転がすこと」というシンプルな指導で選手ばかりか首脳陣をも納得させている。

現役時代に巨人、中日で活躍した川相氏は533犠打の世界記録に6度のゴールデン・グラブ賞受賞という華やかな経歴を誇る。ただ、すべてが順風満帆だったというわけではなく、キャリア晩年の2003年には現役引退を表明してセレモニーまで行いながら、その後に撤回して中日に移籍する騒動もあった。

舞台裏はこう。川相氏は原監督の下で翌04年から一軍守備走塁コーチを務めることが内定していたため、余力を残しながら現役を退く決心をしていた。ところが、事実上の解任のような形で原監督は電撃辞任に追い込まれ、川相氏の立場は中ぶらりんとなってしまったのだ。

当時、渦中の人物を取材するため、自宅へと押し掛けたことがあった。すると川相氏は嫌な顔ひとつせず迎え入れてくれた上に、床の間に鎮座していた高級シャンパンのドン・ペリニヨンを「持って帰りなよ」とプレゼントしてくれた。そう、これが冒頭のお宝だ。

この時の僕は翌年に東京から関西への転勤が決まっており、ドンペリはせん別としていただいた。しかも、そのボトルのラベルには瓶詰めされた年号の「1985」が刻まれていた。

「お前、阪神ファンなんだろ? ちょうどいい年じゃん」。阪神が過去に一度だけ日本一となったのが1985年。次にタイガースが日本一になったら開けて飲むぞ――そう心に決めてから、17年が経過した。

阪神は03、05年にリーグ優勝。15年にはCSを勝ち抜いて3度の日本シリーズ出場の機会を得たが、いずれも敗退。最初で最後の日本一から36年も遠ざかったままだ。

巨人で一時代を築いたいぶし銀の名手が、かつての宿敵の手助けをするなんて激レアである。川相臨時コーチの指導が実って阪神が日本一となった暁には、家宝の「ドンペリ1985」を派手にオープンするつもりだ。

☆ようじ・ひでき 1973年8月6日生まれ。神戸市出身。関西学院大卒。98年から「デイリースポーツ」で巨人、阪神などプロ野球担当記者として活躍。2013年10月独立。プロ野球だけではなくスポーツ全般、格闘技、芸能とジャンルにとらわれぬフィールドに人脈を持つ。

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