「3年やって会社勤めかな…」“猫だまし投法”ロッテ山本大貴の転機となった出来事

ロッテ・山本大貴【写真提供:千葉ロッテマリーンズ】

高校卒業後に三菱自動車岡崎に進むも当初は北海道に残るつもりだった

ロッテ4年目の山本大貴投手は「強いボールを投げること」をテーマにキャンプに臨んでいる。昨季は1軍で自身最多の12試合に登板。「去年を超える活躍がしたい」と札幌生まれの25歳は確固たる決意を胸に2021年シーズンに挑む。【上野明洸】

山本大貴は北海道の北星学園大附属高出身。元々は勉強して公立高校に入る予定だったというが、近くのグラウンドでプレーしていた左腕をたまたま見かけた監督に声をかけられ、北星学園大附属高に進学した。

「監督が僕のキャッチボールしてる姿を見て、そこで声をかけてもらった。僕も何かしらの縁を感じて、この高校でお世話になろうと言うと親とも相談して決めました」

高校時代は全道大会にも出場できなかったが、スカウトからの注目を集めていたこともありプロ志望届を提出。しかし指名はされず、北海道から遠く離れた愛知の三菱自動車岡崎へと進むことになった。

「地元が好きで、最初は北海道から出ることを考えていなかった」。プロ野球選手も輩出する道内の大学で野球を続けようとしていたが、とある“縁”が彼を愛知へ導いていた。

「ちょうど(入団予定だった)二木(康太)がドラフトでプロに入って、高卒の投手枠が1つ空いたっていうのがあって、それで関係者の方に練習参加という形でもいいから行ってみてくれって言われたのがきっかけです」と明かす。社会人野球に入団する裏には後にチームメートとなる二木の存在があった。

練習に参加し、その後入団することとなったが、最初の2年はチームのレベルの高さに驚き、自信もなくしてしまっていた。「どうせ3年で終わって会社勤めかな、とかマイナスのようなことしか考えていなくて、毎日毎日自信を持てないまま過ごしていた」と振り返る。そんな意識が変わるきっかけとなったのが、社会人3年目にチームが本社の不祥事で活動自粛となった時だった。

「ほとんどの選手は実家に帰って親に顔を出したりとかしていたんですけど、僕は北海道で急きょ帰るってことができなくて寮に残っていたので、暇だなと思ってウエートトレーニングを始めたのがきっかけでした」

そこから自分で考えて練習する力が身につくと今度は肉体改造に挑戦。その結果、球速は143キロから148キロにアップし公式戦のマウンドも任されるエースに成長。都市対抗にも出場し、ドラフトで3位指名を受けた。

独特なフォームが生まれたきっかけは「先輩とのキャッチボール」

山本大貴のフォームは右手の使い方が特徴的で“猫だまし投法”とも呼ばれている。打者がタイミングのとりづらい独特のフォームが生まれたきっかけも社会人時代にあった。

「今言っても誰も信じてもらえないかもしれないんですけど、高校まではしなやかできれいなフォームというのがウリだったので……」と笑みを浮かべながら振り返る。

自信をなくしていた社会人時代、先輩とのキャッチボールで「暴投投げたらどうしよう」と、制球に苦しんでいた時期に試行錯誤した末にたどり着いたフォームだった。

「毎回(暴投して)すみませんすみませんって言って、自分の中で嫌になってきて、それをどうしたらいいのかなって、先輩やコーチに相談していくなかで、あんな感じになっていきました」

特徴的なフォームを武器に、プロの世界へ飛び込んだ。1年目にプロ初先発を果たすも3回4失点で負け投手に。プロ入りして2年間で1軍で投げたのはその試合だけだった。「やっぱり1軍のレベルはほど遠いところにあるんだなというのは痛感させられました」と当時の心境を語った。

その悔しさを胸に、昨年は1軍で自己最多となる12試合に登板。その内11試合で無失点と1軍の舞台で猛アピールを見せた。「ぶつかっていこうと決めていたので、それが結果として出てくれたのはよかった」と手応えを口にした。今季は「1試合でも多く投げて、とにかくチームの勝ちに貢献したいという思いが強いですね」と語る若き左腕の活躍に期待が集まる。

○山本大貴(やまもと・だいき)1995年11月10日、北海道札幌市出身。25歳。小学3年時に野球を始め、江別リトルシニアに所属。北星学園大附属高では1年夏からベンチ入りするが、全道大会への出場は果たせなかった。三菱自動車岡崎を経て2017年のドラフトで3位指名を受け入団。182センチ、90キロ。左投げ左打ち。

【動画】独特のフォームで勢いのある球を投げ込む山本大貴

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(上野明洸 / Akihiro Ueno)

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